ジュンパ・ラヒリ『停電の夜に』 / 短編集であるが故の構成
「寝る前読書」でジュンパ・ラヒリのデビュー作の短編集『停電の夜に』を読んだ。
元は1999年にアメリカで出版され、それが2000年に「新潮クレストブック」として出たものであるが、私が読んだのはそれが文庫化されたものである。
この中に入っている『病気の通訳』で1999年にオー・ヘンリー賞、『停電の夜に』でヘミングウェイ賞、ニューヨーカー新人賞、ピューリッツァー賞などの文学賞をとって一躍有名になり、インドはもとよりアメリカでとても評価が高いようだ。
著者のジュンパ・ラヒリは、両親がカルカッタ出身のベンガル人で、アメリカで育ちの、文筆家と言うよりはインド映画の女優といった風貌の、いかにもインド風美人な女性である。
こんな写真が撮られるからにはビジュアル系な売出しもされているのであろう。
どちらかと言うと短編に定評があるようやけど、現在は短編だけでなく長編も発表しており、その中の一つの作品は映画化までされているようだ。
私は短編より長編の上手い小説家が好きで、殆ど短編を読まない。
私は好きな長編小説は沢山あるけど、好きな短編集はレベッカ・ブラウンの『私たちがやったこと』くらいしか思いつかない人であるが、このジュンパ・ラヒリって人は余りにも有名なので古本屋で見つけて反射的に買ってしまった。
更に私は図書館で借りた本は読むけど、古本屋で買った本はいつでも読めると安心して読まない癖があるので、買った時はこの本をちゃんと読むかどうか怪しかったのだが、ちゃんと最後まで読んだ。
私は短編小説に作家としての力とかエネルギーと言ったようなものではなく、物書きとしてのテクニカルな側面ばかりに目が行ってしまう上に、短編を読んでもその人が長編作家として素晴らしいかどうかは全くわからないという持論を持っている。
例えばサリンジャーなら、『ライ麦畑でつかまえて』の素晴らしさならいくらでも語れるけど、『ナイン・ストーリーズ』の良さはそれほどよくわからない。と言った具合である。
ということで、この短編を読んでこのジュンパ・ラヒリが長編小説家としてどうなのか全く分らない。たしかにこの短編集は確かに面白かったけど、無茶苦茶面白いと言うほどではない。それでもこの人の長編を読んでみようという気にはなった。
この本には短編として、在米インド人夫婦、アメリカ生まれの在米ベンガル人の少女とその家庭に家族の友人として入り浸っているベンガル人男性、アメリカ人女性とその不倫相手の在米インド人男性、アメリカ人少年と在米インド人ベビーシッターの老女、インド人の庶民同士のインドでの話、在米インド人夫婦とアメリカ人の老女、在米インド人夫妻とインド在住インド人のインドでの話、などのいろいろなタイプの在米インド人(やベンガル人)とアメリカ社会やインド文化との関わりの中での物語が描かれている。
それらの色々な立場や場所や階層のインド人の話を短編集として構成することで、本全体として彼らがアメリカで何を感じているのか、と言う雰囲気が伝わってくるような気がする。
こういう構成は短編集でしか出来ないし、今まで殆ど興味を持たなかった短編集なる形態をちょっと見直した。
とりあえず家で積読状態の有名な短編集も読んでみよう。