加藤 忠史 『双極性障害―躁うつ病への対処と治療』 / 知による救いの可能性/ 自分が機械である事は福音か

amazon ASIN-4480064656現在、理化学研究所脳科学総合研究センターで脳科学系チームのリーダーやらディレクターを務める著者による、『 双極性障害―躁うつ病への対処と治療』 を読んだ。
いわゆる躁鬱病のことを最近では双極性障害と呼ぶらしく、うつ病や躁病とは根本的に違い、躁状態とうつ状態が一定期間で切り替わるもので、うつ状態での苦しさは勿論の事、躁状態でのあまりにもぶっ飛んだ問題行動が人間関係やら経済状態やらを破壊して社会生活が崩壊してしまうのが症状として一番問題であるらしい。
ただ本人は躁状態は自分の本来のあるべき姿で、うつ状態のみを病気としてとらえて病院にかかることが多いらしく、うつ病に対する薬を処方した結果、強烈な躁になってしまいさらに病状が悪化したり問題が起こったりするらしい。
気分が落ち込んでいる時に限ってちょっとした楽しい事が異様に楽しく感じられて妙なテンションまで上り詰めてしまうということが自分自身にもあるような気がするゆえか、不謹慎ではあるけど、ちょっと笑ってしまった。
この手の「心の病」な本を読んでいていつも思うのは、まるで自分の事が書いてあるようで辛過ぎる。というものなのだが、この本に関してはあまりそうは思わなかった。自分は躁鬱病的なところがあるなぁ。とは思っていたけど、躁鬱病的と双極性障害であることはまったく違う。多分誰でも「心の病」的な側面は持っているだろうし、まぁその程度のものだろうと思った。
そしてこの本はそんな双極性障害について、如何に対処して治療してゆくかという部分に主眼を置き、私から見ればやたらと具体的に詳しく、そしてクールに書いてある本であった。
単純に興味本位の私のような人間に向けた本ではなく、実際に双極性障害の渦中にある本人やその周りにいる人向けの本であるような印象を受けた。(まぁサブタイトルを見ればそうやねぇ…)


双極性障害なる病気だけでなく、あらゆる心の病はカウンセリングやとか精神分析やとかそっちの方面で治療するようなイメージをなんとなく持っていたのやけど、この本を読んでそのイメージがまったく変わった。
単純に私自身の知識不足であるのかもしれないけど、そういった種の心の病が、単純にホルモンバランスや脳の障害やら遺伝子に起因する問題で、薬やら電気やらをつかったいわば機械的な治療が主流であることにちょっとしたカルチャーショックを受けた。
双極性障害であるというのがどういう状態であり、どういう不具合が出るのかというのを説明したあとは、ひたすら具体的な薬の名前だの治療法だのを出してそれがどういう効果でどういう影響を及ぼすのか、またどういう人のどういう症状に有効が説明してある。
このあたりは、実際その双極性障害への対処が身近な問題であり、その薬と効能の知識が必要である人でなければちょっと退屈するかもしれないが、読んでいると「ああ人間ってとことんまで有機機械なんかなぁ」とっちょした感慨を感じた。
そして、本人の性格の問題やと思われがちこういった病気が、機械的な意味での肉体が原因になっているという事実は、周りだけでなく、患者自身の偏見をなくして治療を受けやすくするものであるに違いない。
こういった本を読んで病気の人の周りにいる人が、「あの人が陥って引き起こしている問題は、あの人自身の肉体的な病気のせいであり、あの人の性格的な問題ではない。」と思ったり、病気の渦中にいる病人が、「この私の状態は私の性格に問題があって、私の性格を直すことで治るんじゃなく、肉体的な治療で改善するのだ。病気は私のせいじゃない。」と思えることは良い事であるに違いないと思う。
こういった本を読んで、病気について知ることは、知識とか知恵とかが、ちょっとした救いの力になる具体的な一例であろうなと思った。
人間の心で起こる現象を機械的に物質的にロジックとして記述することは、健康な心を持つ人にとってはちょっとした違和感や嫌悪感を抱かせるような気がする。
しかし逆にこのような病気で苦しんでいる人にとってはちょっとした福音であるに違いない。
「自分が機械である事を肯定的に捉える」という方向の可能性を今まで想像もしたことがなかったけど、確かにそんなこともあり得ると納得すると、そういった「反心」的な感覚を心が抱き得る可能性に、逆に人間の心の超論理性や懐の広さや可能性の大きさを感じるのであった。

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