荻上チキ:『ウェブ炎上―ネット群集の暴走と可能性』 / もう何書いても炎上すらしないブログへ

amazon ASIN-4480063919荻上チキ『ウェブ炎上―ネット群集の暴走と可能性』 を読んだ。ブログやBBSなどの「炎上」を代表とする、ネット上でよくありがちな現象をベースにネット特有の人間心理や行動パターン、そしてサイバースペース自体のあり方を、サブタイトルにあるように「ネット群集の暴走と可能性」として捉えた本である。
いつもブログを読んでいるひきこもりの人がこの本を絶賛するので読んでみたのだが、言われているほどめちゃくちゃ面白いとは思えなかった。 それでも刺激的ではあったし、こんがらがっていた物がスカッと見通せたような気になる、爽快感溢れる切れ味の良い本であった。


とはいっても、私がそう感じたのは恐らく今までちゃんと名づけられて来なかったけど、なんとなく知覚されていたいろいろな概念が単語として整理されたことによるような気がする。たとえば、ざっと上げると「サイバーカスケード」「確証バイアス」「セレクティブメモリ」「協調フィルタリング」「ハイパーリアリティ」などと言ったところか。
こういった単語を手がかりにネット群集の暴走と可能性をビシビシと切り分けてゆくのであるが、本自体の結論としては、
これまで起こってきた現象が、これからも形を変えて起こり続ける。
これまで起こってきた現象が、これからは形を変えて起こり続ける。
と、いたって無難そうに見える。
しかし、ネット上で起こる悪いことは、すべてネットから生まれてネットへと現象する、特殊で異常な環境と状況であるとするような論調が多い中、ネット上の現象は今まで起こってきたものがネットに上噴出しているに過ぎない、とすることは大きな意義があるように思える。
しかし、この著者である荻上チキって人が基本的にはネット上の人だということで、「ネットの人がネットのことを語ってる」と捉えられるかもしれないのがちょっと残念なような気がする。
関係者と内輪だけが理解できる憎しみと怒りで、全世界に公開した状態で罵倒と呪詛が飛び交うブログや日記サイトは、読んでいてなんとも微笑ましいが、これはこの本から言えば「炎上」とは呼ばない。ただの私怨による喧嘩に過ぎない。
第三者が祭り上げるだけの意義と価値があるブログへの、第三者の参戦があって初めて「炎上」となるのだ。
いつも読んでるだけでハラハラする、燃料十分で導火線まであっていつ炎上してもおかしくなさそうなブログが荒れることなく難を逃れているのは、結局そのブログを書いている本人が色々な意味で小さな存在で小さな火種でしかない上に、生暖かく見つめて華麗にスルーしてくれる読者のお陰である、という事実は嬉しいような悲しいような…である。
「何を書いても炎上すらしないブログ」というのは確かにある。
しかし、それは、いと小さき存在でしかない人間の儚さや脆さが愛おしさにもなると言う事を教えてくれる貴重な存在である。と思った。

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