中井久夫『最終講義 分裂病私見』 / 「統合失調症」を題材にした人間肯定の書

amazon ASIN-4622039613統合失調症本の第二弾ということで中井久夫の『最終講義 分裂病私見』を読んだ。
この中井久夫という人は、ウィルス学から精神科に転向した、統合失調症を専門とする精神科医で、阪神大震災後に設立された兵庫県こころのケアセンターの初代所長でもある。
また、精神科医としてだけでなく、現代ギリシャ詩人カヴァフィスの全詩集翻訳によって読売文学賞受賞を受賞したくらいの、文学者としても名高い人であり、精神科医のカリスマともいうべき人であろうか。
この本はその中井久夫が神戸大学医学部を退官するときの最終講義を本にしたものである。
エラい先生の「最終講義」ってのはほとんどの場合何かしらのイベント的要素を含んだ外部向けの講義になるわけで、本来は精神医学の専門家して高度な授業をしてきたはずの著者は、この『最終講義』で彼の専門である「統合失調症」について一般向けの講義を行っているような体裁になっている。
この講義中、本来ならプロジェクターに投影された図や表をもとに詳しく説明する予定だったものが、会場が暗くて原稿が読めないので、彼はプロジェクターに表示されるものを手がかりにして思うがまま口に出るがままを語ったという。
そして、それこそがこの本の中に登場する様々な素晴らしい比喩やエピソードや言葉を引き出す要因になったのだろうと感じさせるものがある。


一応、本の難度としては一般向きということになっているけど、本文中では統合失調症の治癒してゆく過程や症状や現象が自明のものとして使われており、ある程度一般的な「統合失調症」の知識は前提となっているようだ。私は笠原嘉の『精神病』を直前に読んでいたおかげでちゃんと理解しながら読み進むことができた。
一応この本は一般向けのプチ医学入門書であるけど、私自身はこの本の内容を実際に役に立てたり対処するための知識を得るような医学的実用書的読み方ではなく、精神が病む状態である「統合失調症」を詳しく見てゆくことで人間の精神そのものの深さや謎を知りそれが人間理解につながるだろうという目論見の人文的な読み方をしたのだが、そういう読み方でもとても楽しくスリリングに読めた。
直前に読んだ笠原嘉『精神病』はちょっと退屈な部分があって読むのにちょっと時間がかかったにもかかわらず、同じ題材を扱ったこの本は小説を読むように一気に読み終えた。
著者の広くて深い知識と知恵からあふれ出るような言葉が、著者のお人柄とあいまって「統合失調症」を題材として展開され、とても読み応えのある人文的人間考察の書物となっている。
この本は一応精神病という人間の負の面についての本であるはずなのに、なぜか読後感は不思議な人間肯定的な気持ちに包まれてしまうくらいの勢いである。
統合失調症の患者の症状として、世の中身の回りすべてが完璧で緻密な法則性によって決められている確信を抱いてしまい、世界の閉塞感と圧迫感が苦しくてしょうがない状態を「心の自由度がゼロに近づくならば、外界も、自分がその中自由に動きまわり人や物と出会えるような空間でなくなって、すべてが恐ろしい”必然”と見えても不思議はありません。」という内容が印象に残っている。
なんというか統合失調症の辛さがひしひしと伝わってくる文章ではないか。これを読んで、ニーチェの「永劫回帰」や「運命愛」がこういった苦悩の苦肉の策として考え出されたのかもしれないなぁとぼんやりと思った。
ウィルス学と精神医学の専門家であり、「ヴァレリーの研究者となるか科学者、医者となるかかなり迷った」というくらい文学にも造詣の深い人であり、科学者や医者としての論理的な側面と、細やかな情緒を大事にする文学者の側面の二つが高度な位置で同時に生かされている個性から出てくる言葉はとても感動的である。
この本を読んでいろいろな人がこの中井久夫という人に熱い敬愛を抱くわけがよくわかった。こういった知性に激しい憧れを抱く気持ちはとても理解できる。確かにこの人の書くほかの本をずっと追いかけて読んで行きたいと思ったのであった。



コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。

PAGE TOP