笠原嘉 『青年期―精神病理学から』 / 青年期は罠だらけ / 若者よりもオッサンオバハンが良い

amazon ASIN-4121004639先日当ブログにコメントをいただいたhappyflightboyさんが若いころに読まれたらしい、笠原嘉『青年期―精神病理学から』が面白そうだったので読んでみた。
タイトルのとおり「青年期」と呼ばれる時代に特有の青年に特有な心の動きを精神病理学の立場から見て陥りがちな罠や疾病状態を示しつつ「青年期」を分析し概観する本で、「内なる対人恐怖」「我が身体との出会い」「現代のオブローモフたち」「アクティングアウト」「出立の病・分裂病」「青年VS成人」という6 つの章から成りたっている。
1977年出版と古い本であり、中で述べられている現代の若者として語られる若者像は少し古いが、著者の世代から見た私の親が若者だった世代の若者像は古いながらもリアルに感じられて、私が若者だった世代、そして今若者である世代と変化してゆく部分と、逆に全く変わらない若者特有の部分がより浮き彫りになっているように思えた。
一応「青年期」を精神病理学の立場から見た、あくまで医者の立場として解説している本であるはずが、最後の章では著者が教師の立場で立ち会った学園闘争に関係する学生についてほとんど個人的な感想としかいえない論調で語っているのがとても意外で面白かった。


青年期は自分自身の存在と向き合ってしまう時期であり、精神的な独立やら自分の肉体やら、初めて対峙するような色々なものと次から次へと出会ってとても混乱しやすい年代であることがこれを読んでいるととてもよくわかった。特に恋愛やら旅が日常と非日常や自分と他人の境界やらがあいまいになるようなかなり強烈な体験であり、これを切欠にさまざまな精神病やら神経症が起こってくることがありうるのがなるほどとても納得できる。
確かに恋愛やら旅を個人の全存在的体験として捉えているかそうでないかってのは、若者に見えるかそうでないかのかなり重要な境目であるように思う。
そういえば「愛と青春の旅立ち」って映画があったけど、その「愛」「青春」「旅立ち」って青年期の危機的状態をとても上手く表しているタイトルやねんなぁと思った。まぁ見たことも無いので勝手にそう思うだけだが…
私は「この間まで若者だった人」との立場でちょっと後ろを振り返るような形で読んでとても面白く読めたのだが、実際に「現在若者である人」や「いつか若者だった人」が読むとどう感じるのかちょっと気になる。
現在若者である人にとって、現在自分の抱いている悩みや迷いが、自分という特別の存在だけが抱くものでなく、誰でもが当たり前に抱くごくありふれたものだと認識させるような、自己の一般化のような見方を与えてしまうのはちょっと荒療法であるような気が個人的にはするのだが、自殺に関して著者が示す精神病理学的態度はもっとも自殺願望を示す若者にとってこそ伝えられるべきものであろうと思う。私が今まで聞いた中で最も上手く自殺の勿体無さを間接的に示したものではないかと思ったくらいである。
具体的に言うと、彼は青年の特性を同一対象に対して同時に相反する二つの感情をいだく両面性でとらえた上で、自殺をそのもっとも両面的な行為として捉えている。
「自殺こそは人間の示しうる最も矛盾的な行動形態だと私は思う。精神的心理的死から逃れるための肉体的死への逃避であり、自己支配を今一度死によって獲得しようとするあがきであり、忌むべき自己の抹殺と同時に新しい自己の出生願望であり、死によってしか他者の救いを求めることのできぬ悲劇であり、自己処罰を通じてなされる隠微な他者処罰であり、さらには醜であって美である。」
「自殺を心にえがくだけなら、それは高校大学年齢の比較的ありふれた体験である。しかし自殺を行為としてアクト・アウトするのは、ごく限られた数の人でしかない。死を想念の次元から行為の次元へ時間をかけてひっぱり出してくるのは、いま述べた多重の心理機制の連動だと私は思う。」

と彼は述べており、そしてそんな若者の自殺願望を一般化しながらも、周りにいる人たちには自殺未遂や狂言自殺をする若者に対して
「仮に今日の自殺未遂が狂言であったとしても、自殺という形でしか狂言をなしえない人間の悲劇性を考えれば、明日の彼に非狂言的に自殺がおこなわれる危険性を無視できない。」
と注意を呼びかけて、彼らに優しい目を注いでいるのがとても印象的であった。
私自身はずっと自分自身を「まだ若者」だとみなしてそういう気分でいたつもりだったのだが、読み進むにつれ自分がもうすでに若者でないことをつくづく思い知らされたような気がする。
「アイデンティティは論理によっては獲得できないということを論理的に説明する努力は、真面目にやればやるほど報いられない。」
なる、恐らく若者であれば絶対理解できないであろうこの言葉がストレートに直感的にとても良く理解できたのが自分でもとても驚きだった。
まぁ年から考えれば当たり前やねんけどね…
本の主題である青年期の話に限らず、他にもとても刺激的ではっとするような話も多かった。例えば「アクティング・アウト」という単語にしても意味はわかっていたつもりでも、ちゃんとそれをよくある現象だとして前提において周りを見回してみると色々な事が見えてくる。
誰かの不可解で不愉快でしかない言動も「アクティング・アウト」だとして捉えるととたんにすっと便宜的にでも理解できるような気がするし、許したり見逃したりする取っ掛かりにすらなりそうである。
著者は色々な人にこのアクティング・アウトの見方を適用しており、学校恐怖、スチューデント・アパシー、中毒者、職場恐怖まではまだいいとしても、脱サラ、蒸発者、性的倒錯までアクティング・アウトとして捉えてしまう健康的強引さにちょっと笑ってしまった。
最期の章の学生闘争に参加した若者たちに関する部分の話は、著者自身がその若者たちに抱いていた個人的な想いがストレートに出ていて、正に自分自身が若者時代に描きそして捨ててきたそのもの自身を突きつけられたときの彼の人間的な迷いとか心の揺れがとても伝わってきてある意味新鮮であった。
現代でこそ人生の最も頂点の時代は青年期であとはずっと下降線であるような価値が優勢であるが、青年期を単純に成長期として捉えて、青年をいわばただの通過地点であり、オッサンすぎた今こそ人生は素晴らしいとでも言うような彼の言い分は、青年である事に悩む青年、はたまたとうの昔に青年を過ぎてしまったオッサンオバハンに希望を与え、そんなオッサンオバハンになることを真っ向から肯定するものであろう思う。
ということで、なんだか訳のわからないままに悩んでいる青年にも、そしてそんな青年と毎日顔を突き合わせて彼らが理解できない人たちにも、更にはもうとっくに青年期が終わってしまった人にもお勧めの本である。



3件のコメント

  • いやいやいや、そういわれますとなんとも恐縮いたしますです。こちらこそ良い本をご紹介いただいて、また長いエントリをお読みいただいて、更にはコメントまでいただいて本当に感謝しております。ありがとうございました。
    確かにこの本は何度でも再読に耐える良書だと思います。とりあえずという事で図書館で借りて読んだのですが、買って家においておいて本棚の肥やしになるべき本だ!として購入することにしました。この年で読むと何かしら熱いものを感じます。ぜひぜひお読みください。って私がお勧めするのも変ですが。。。

  • さっそく読ませていただきました、土偶さんの書評力に改めて圧倒される思いでした。私が若い頃読んだときも、確か大変難しく感じて、ここまで全体として読んでなかったように思います。私が読んだのは、第一章のうちの「同性同年配者関係」および「青年のメタモルフォーゼ」の2つだけを「つまみ読み」的に何度も繰り返し読んでいたように記憶しています。ともかくも、せっかくの機会ですので、私もまた改めて読み返してみたいと思います。このたびは本当にありがとうございました。

  • (7)親友

     1987年。浪人2年目の19歳だった僕は、勉強もせず、アルバイトもせず、ただ家にひきこもって、部屋のなかで布団にくるまって過ごした。そんな生活は1年近…

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