レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』/ゆけ~ゆけ~レヴィ=ストロース、ドンとゆけ~♪

amazon ASIN-4121600045 そういえばちょっと前にレヴィ=ストロース『悲しき熱帯』を読んで、感想を書くつもりでいたのだがすっかり忘れていた。
二年ほど前にレヴィ=ストロースが死去した時に「そういえば読んでなかったわ」というので読むつもりでいたのだが、なぜか読むタイミングをはずしていたのをやっと読んだのだ。
私が読んだのは上下巻に分かれたソフトカバーのものではなく、世界の名著の一冊『世界の名著 59 マリノフスキー/レヴィ=ストロース』 であった。
著者のレヴィ=ストロースは「構造主義」を打ち立てた文化人類学者である。
そしてその著者による『悲しき熱帯』はその作者による南米の原住民の生活と社会体制を記録したフィールドワークであり、彼自身がその始祖であるともいえる文化人類学にとってだけでなく構造主義そのものをも代表する本とされているようだ。
また、その『悲しき熱帯』は単に文化人類学や構造主義に関する学術的な意義だけを持つ書物であるだけでなく、20世紀を代表する文学であるとも言われることが多い。
彼がこの本の中で提示していた思想的だったり学術的だったりするポイントは次の三つ、
一つが西洋文明社会とかけ離れた原住民の原始的な生活のフィールドワークとしてのレポート、
次に、今まで疑われること無く確信されてきた「西洋的な文化や知の構造が最も正しく全世界はそういう方向性に教化され文明化されるのが正義である。」的なモノの見方や考え方に対する根本的な批判、
そして最後は、「ナンビクワラ族」に代表されるような、彼らは文明化されていないからこそ西洋文明が捨ててしまった幸福と知恵と価値と秩序を持ち続けているように見える。
というところにあるだろうと思う。


この三つの見方や考え方や価値観は、世界大戦のダメージから復活しつつ勢いづいて発展していた1955年当時の西洋文明では目新しい見方と考え方と幸福観であったのかもしれないが、
資本主義と西洋文明の限界が感じられる今の21世紀にとって、また骨の髄までは純粋な西洋文明に染まっていない日本人にとって理解するのは比較的簡単であるように思える。
たぶん今の時代これを読んでそういった部分に驚く人というのはそれほどいないように思う。
そういった意味ではこの本の中の思想的であったり学術的であったりする部分はもはや一般化されたものであり、歴史的な意味合いでのみ価値を持つものということになるだろうか。
しかし、この本が今も読み継がれ文学作品として人々をひきつけているのはそのほかの部分によることが多いのだろう。
この本の前半、殆ど半分がレヴィ=ストロース自身の個人的なことばかり、回想から自分の考えから当時の社会状況に至るまでが、ひたすらうだうだと語られる。
ナチスが台頭する当時ユダヤ人であり西洋人である彼自身がなぜブラジルやアメリカに暮らすこととなったかという話、
また、彼がなぜ当時の知識人のメインストリームである「哲学」に失望し、文化人類学をという道を選んだのかという話、
また、大陸をまたぐ船の中で会った人や起こった事やその他の細々とした出来事などなど。
南米のフィールドワークの本のはずなのに「いつになったら原住民の話になるんやろう…」と不安になりながらも半分ほど我慢して南米の話になるのだ。
そしてやっとのことで、本の半分ほどになって始めて、原住民たちの生活が描かれることになるのだが、
色々な人が言及するように、この本の中の「ナンビクワラ族」の章の描写の美しさはまさに文学の持つ美しさであるといえると思う。
この本はレヴィ=ストロース自身が「十年過ぎてやっと自分の体験したことの意味が分かった」的なことを書いているように、彼が実際に体験した10年ほど過ぎた後に出版されている。
『悲しき熱帯』は「構造主義」に関する本ではあるけど、構造主義と聴いて一番ややこしく感じるその方法論が鳴りを潜め、「構造主義」が目指すものと「構造主義」が明らかにしたものが表に出ているがゆえに読みやすく、
そしてまた、このレヴィ=ストロース自身がその「構造主義」を生きた人であるということそのものが、この本を文学的にも学術的にも価値あるものにしたのだと思う。
自らの指針として体現した「構造主義」的な視点から、原住民と共に暮らして感じた原住民の生活や幸福、そして自分を取り巻く色々な出来事を個人の感覚と感情と思いでのみ書いたからこそ、帰納的に文学的な意味で普遍性をもつという構造はとても面白いと思った。
得てして俯瞰的であろうとしたり、上から目線だったり、一般法則を導こうとしたりする社会派ブログやムツカシイ系ブログよりも、
個人の感情や考えや利害がそのまま反映されているブログの方がはるかに面白くためになり深い知恵が含まれているように思える事が多いようなものである。
この本は長い上に前半が面白くないので、全部読み終わると前半を殆ど覚えていない。
しかし、この本の一番最初にレヴィ=ストロースは
「私は旅なんか大嫌いだ!」「私はフィールドワークなんかもううんざりだ!」「私は南米なんかもう二度と来たくない!!」的なことを書いていて、いきなり本の冒頭でそこから続く本の中身とそれを書いた自分自身を全否定していて思わず笑ってしまう。
フランス語の原題「Tristes tropiques」のTristesをそのまま単純に訳すと「悲しい」となり、ちょっとアンニュイでおっしゃれーなイメージを受けるが、tristesが名詞の前につくと(ちゃんと辞書を引いたのだ)「下らない」「情けない」「嘆かわしい」という意味になる。
フランス人の書いた「悲しき熱帯」と聞けば、なんか、綺麗なパリジェンヌがカフェでエスプレッソでも飲みながら遠い目をして愛しい人を想いつつ溜息を漏らす様を想像するが、
実際は、倦怠期の妻が寝転んでテレビを見ているステテコ姿の夫を眺めながら聞こえよがしに「はぁ~~」と溜息をつく方が近いかもしれない。
ということで正確に訳すと「Tristes tropiques」は「くたばれ熱帯地方」「アホアホ熱帯地方」「もう来ねえよ南回帰線」の方がニュアンス的に正しい。(たぶん)
「Tristes tropiques」と韻を踏んでいるところも考えれば、「アホアホ熱帯地方」がベストの翻訳かもしれない。(たぶん)
文化人類学と構造主義のバイブルであり、人文科学に多大な影響と痕跡を残したレヴィ=ストロース『悲しき熱帯』と聞けばちょっとのけぞりそうな敷居の高さを感じるが、
構造スペシャル!レヴィ=ストロースが行く『アホアホ熱帯地方』「クラ交換とインセスト・タブーの謎を追え!」と脳内置換すれば一気に身近になったぞ!
しかし、身近にはなったは良いけどけど、川口浩と藤岡弘が手を繋いでジャングルを探検している様しか頭に浮かんでこない。
そんなイメージこそがレヴィ=ストロースの批判したものであるけど、われわれの年代にとって「熱帯の原住民」なるシニフィアンはシニフィエとして「水曜スペシャル 川口博探検隊シリーズ」的なものが頭に浮かぶのである。
レヴィ=ストロースが~ナンビクワラ族の村に入る~♪
ゼロ音素さんと~二項対立さんと一緒に入る~♪
ナンビクワラ族の村では~人が転がって寝ている~♪
最も感動的で~最も真実な表現であるように見える~人が転がって寝ている~♪
こんな大発見をしながら、決してナンビクワラ族を褒めたりはしない~♪
レヴィ=ストロースのツンデレさ加減に、
僕らは思わず、涙する~♪
ゆけ~ゆけ~レヴィ=ストロース♪
ゆけ~ゆけ~レヴィ=ストロース♪
ゆけ~ゆけ~レヴィ=ストロース♪
ドンとゆ~け~♪
ってこんな事書いたら内田樹氏に怒られるで…
サルトルは草葉の陰から喜んでくれるかも知れんけど…

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