古市憲寿『絶望の国の幸福な若者たち』/フリーライダーとイージー・ライダー
気鋭の1985年生まれの社会学者、古市憲寿による『絶望の国の幸福な若者たち』を読んだ。
経済や産業や環境や政治やその他様々な観点から、どう考えても日本の未来は暗いし絶望的ですらある。と言われている。
今のおっちゃんおばちゃん、じいちゃんばあちゃんは、
我々はすべてが成長してゆく世の中に生きて希望を持てたけど、これからの世代は希望がなんか持てないではないか。
収入も増えないし仕事も減るし生活も豊かにならないのに、沢山の祖先が残した借金を少ない子孫で返済して行くだけの生活は余りにも不憫である。と、今の若者とこれから生まれてくるであろう若者に対して、さぞかし大変な時代に生きることになるだろうと今から心配している。
しかしそんな心配とは裏腹に、内閣府の「国民生活に関する世論調査」によれば2010年の時点で今の生活を「幸せだ」と思っている若者自体は日本の未来がバラ色に見えた高度成長期やバブル期に比べて圧倒的に増えているらしい。
日本の未来が暗いのはもう決定的ですらあるのに、なぜ若者は幸せなのか?そして若者は?日本はどうなるのだ?
というところがこの本のテーマである。
若者が幸せを感じているのは、
ネットや携帯や服や食などの都市生活のインフラと生活環境をベースに「未来が暗いから今を楽しもう」的な方向性で友人や恋人やグループなどの人間関係のつながりを保ちながら、で日々の幸せを感じることが出来るから。という理由であるらしい。
この本から例をとれば
「ユニクロとZARAでベーシックなアイテムをそろえ、H&Mで流行を押さえた服を着て、マクドナルドでランチとコーヒー。友達とくだらない話を三時間、家ではyoutubeを見ながらskypeで友達とおしゃべり。家具はニトリとIKEA。夜は友達の家に 集まって鍋。お金をあんまりかけなくても、そこそこ楽しい日常を送ることができる」
という生活が若者の幸せであると。うむ、確かに楽しそうwwwというか大学生の生活そのままや。
で、この本の主張としては、
自分の近くに自分より圧倒的に恵まれた人がおらず、未来に希望が無ければ無いだけ、人は焦燥感を感じずに「現在」の幸せを感じようとする。
昔の若者に比べて、現在のハッキリした格差の底辺に生きる若者は、恵まれた人を周りに見る機会も少なく、未来に対する希望も抱きようが無いから幸せなのだと。
そして、若者を格安労働力として使い捨てても現状維持すらままならい経済や産業の日本での階層化はますます進んでゆくだろうし、この圧倒的な階層化こそが上層の幸せを低層から遠ざけて雲の上の物語とし、固定された低層の未来を奪うことで低層の「今の幸せ」を実感させることになる。
未来が暗くなればなるだけ、格差が広がれば広がるだけ、自分を幸せだと思う若者は増えてゆくし、
そして、今まで年齢でも世代でも階層でも定義しがたかった「若者」なるカテゴリーを「未来に絶望して日々の今の幸せを生きる」ものと定義した上で、日本は「総若者化」した幸せな国になるに違いない。
と予測し、結論付けている。
逆説的で悲観的なんか楽観的なんか良く分からんちょっと残念な話になっていて、あら怖い。
とはいえ、若者が未来なんか考えず、貧乏でも幸せで充実した現在を暮らしている傾向があるというのは何も今だけに限ったことじゃない。
でも、赤い手ぬぐいをマフラーにして恋人と銭湯に行く「神田川」時代の若者より、部屋のユニットバスのシャワーを毎日浴びてユニクロのフリースでも着て携帯やネットで友人とコミュニケーションをとる若者が小さな幸せを噛み締めているのは、昔よりも今が圧倒的に生活のインフラが整っているからと言える。
ネットや携帯などの通信インフラで友人たちとつながり、食べ物や服や住居についても格安でそこそこ質のいいものが得られる。
言ってみれば、今の若者の幸せのベースは、前の世代が構築したインフラにフリーライドすることを前提として成り立っている。とも言える。
そう考えれば、日本を発展軌道から脱線させてしまった。これからの世代に借金を押し付けてしまった。これからの世代の未来を食いつぶして生きている。自分たちがしたような贅沢はこれからの世代にもうさせてあげられない。と嘆き後悔している善良な今のオッサンオバハンやじいちゃんばあちゃんはむしろ誇って良いのかもしれない。
「俺たちの未来をどうしてくれるんだ!」と怒っている特定の若者に対しては、
未来に借金を背負わせて作ってあげたインフラのおかげで、我々が換わりに借金までして頑張ったおかげで今の若者はなに不自由なく幸せに暮らしているのだ。
我々が余りにも醜く欲望を追い続けて醜態をあえて晒したがゆえに、今の若者は「ああなってはいけない」と学び立派になったのだと開き直ってしまえば良いかも知れない。
そしてその今の若者の生活観であるとされる「多くを望まず、足るを知り、現在で満足し、人との縁に感謝し、人との縁を大事にし、今の幸せを感じながら生きる」とか言えばあまりにも仏教的ではないか。
資本主義的な価値から見れば日本という国そのものは没落してゆくかもしれないが、日本人そのものの質としては良くなってゆくと言えないこともない。
ってポジティブに良かった探しするしかないですな。
最近の年寄りが最近の若者に対して「これからは心の時代」とか煽ってたから願ったり叶ったり??
今の若者世代は前の世代が作った今のインフラを最大限に利用出来る。しかし、今の若者が若者ではない世代になった時、次の世代の若者が乗るインフラはどうなるのだろう?
次の世代がフリーライドするインフラを今の若者世代が作り維持することが出来なければ…
一体どうなるのだ??
本当の意味でのツケが回ってくるのは次の世代ではなく、次の次の世代以降になるのではないか??
むむむ…我々のできることは、フリーライダーしている自由に生きようとする若者を、映画イージー・ライダーのように一方的な価値観で叩かないことくらいかもしれない。