平野啓一郎 『葬送 第二部』
『葬送 第二部』を読み終えた。
ショパンが久しぶりに多くの聴衆の前で行う演奏会から二部が始まり、二月革命のあおりを受けてイギリスへ旅立ち、体調を崩してフランスに帰り、姉と友人たちの見守る中息を引き取る場面で物語は終わる。
一般的には中々好意的な感想が多く、重厚で骨太な正統派の小説であるという意見が多く見受けられるが、webで見る限り発売された当初の大掛かりな取り上げられ方に引き換え、それほどは話題にされなかったような印象を受ける。実際に何々賞を受賞したと言う話も聞かないし。
とはいっても私自身はこの本にかなり良い印象を持っているし、とても面白かった。誰かが「筆力」って言葉を使っていたけど、まさにそんな感じだった。
大体どの長編にもストーリーに起伏が無くなくなりそうになる中だるみの状態があるもんやけど、そんな時でもそのショパンの繊細な優美さとドラクロワの濃い独白は読者の目を離させない著者の筆力を感じた。
読み終えた達成感は中々のもので、本読み冥利に尽きる読み応えのある大作だった。
もともとショパンを好きなわけじゃなかったけど、これを気にちゃんと聴いてみようという気になったし、ドラクロアにも興味が出てきた。
ショパンやドラクロワが好きな人は当然な事として、クラシック音楽や絵画が好きな人にもお勧めできる本やと思う。
ただし、本を読む訓練が成されていない人にとってはちょっと辛いかも。
一番印象に残っているのはショパンのパリでの演奏会の描写で、一々引用はしないけど、今までにこういう風なコンサートやら楽器を弾く時の描写を読んだ記憶が無い。
実際には平野啓一郎のオリジナルなスタイルじゃないのかもしれないけど、とにかく、ピアノを弾く優美なショパンとその音楽の様子とコンサートの感動と熱気が伝わってくるような描写はもういかにもショパンとかなり良い感じやった。
ショパンと彼に思いを寄せる腐女子は切っても切れない関係やけど、彼女たちならこの描写を読めばうっとりするどころか、失神失禁するくらいにもうたまらんのではないだろうか?
物語の後半に入ってショパンに死の影が付きまとうようになり、テーマは明らかに「死」と言うものになってきているように思う。
歴史にその名を残し、作品として生き続けるというクンデラ的な「古典的不滅」にあるショパンでも、結局会いたいと望んだジョルジュ・サンドと母親には見えることなく死んでしまうわけで、いくら友人たちに囲まれた最期であったとしても幸せな死であったような印象を受けない。
ドラクロワもなんだかんだと葛藤したり、芸術に対する思いをぶちまけて見たりと、死であるとかエゴであるとか芸術であるとか実に様々なテーマとして中々に熱い独白を語ってくれる。
繊細で優美なショパンの描写と、熱く語るドラクロワの独白がの二つがあってそこの作品は厚みと優美さを保っているのだなと思った。
平野啓一郎のいう「ロマンティック三部作」は「15世紀末フランス」「明治時代」と続き、「19世紀フランス」を描いたこの本で終わった。
彼はこの本の後に「現代」を書き始めたらしい。
現代でも中世でも人間の頭を悩ませるテーマに代わりは無いわけで、彼は古典的な思考や感覚パターンでそれに取り組み、そして現代の状況でもって同じテーマに取り組むのだろう。
「個体発生は系統発生を繰り返す」と言うけど、古いスタイルを潜り抜けた彼が「現代」をどういう風に描くのか読んでみたいと思った。