阿部和重『シンセミア』上・下

阿部和重『シンセミア』を読了。
毎日出版文化賞、伊藤整文学賞をダブルで受賞したこの作品は、総ページ816、原稿用紙にして1600枚の長大な物語であり、一気に読ませるストーリーテリングの力を持っていた。
「神町」に住む複数の人間の視点から語る物語が重層的な構造をなして「神町サーガ」を形作る構成を取る訳であるが、過去に読んだ阿部和重の作品と同じく、この作品の中に人間的な魅力を感じられるような登場人物は誰一人として登場しなかった。
登場人物は全ていわゆる「鬼畜」か「狂人」、もしくは「鬼畜の狂人」である。
サドのロリコンで自分を好きになった中学生を弄びつつも近所の小学生に惚れ込んでいる正義感が強いつもりの警察官がまともな人間の代表格だという時点でこの物語のぶっ飛び具合が理解されよう。
そのロリコン警察官と、近所中を盗撮して回った映像を商品にする盗撮サークルを主催する暗い野望を胸に秘めるレンタルビデオ店の経営者の二人をそれぞれ中心にして起こる暴走を二つの軸にして、激化した町の裏社会の対立が絡み合い、町中の住民たちが卑小で醜悪な欲望と狂気を剥き出しにして大きな流れに巻き込まれ、駆り立てられてゆく。
UFO、霊媒師、新興宗教、麻薬、マスコミなどの大量に投入された胡散臭げなものを燃料にして燃え上がる物語は、終盤に差し掛かって町が一つの大きな悪意の塊となるかのような様相を呈し、満を持して起こるカタルシスの一片も無いカタストロフで幕を下ろす様は、もう圧巻としか言いようが無い。


amazon ASIN-402257870Xamazon ASIN-4022578718本の装丁とは正反対の、ひたすら陰湿で邪悪で悪意に満ちた人間が陰惨な悲劇や破滅に陥る様をひたすら描きながらもその悲劇と破滅はユーモラスですらある。
陰陽師を名乗る男が火達磨になって倒れ、近所の子供たちに「ドロドロお化けだ!」とはやし立てられるシーンはこの小説でもっとも笑えるポイントではないだろうか?
「場」を主人公に据えるガルシア・マルケスや大江建三郎、中上健次と比べた場合の、「神町」を主人公にする阿部和重のもっとも特徴的な点は、最低な人間しか登場しないと言う以外にも、嫌悪感を交えることなく人間の醜さのみを抽出して見せ、悲劇とカタストロフの物語をただの喜劇として描く方向に持っていこうとする点ではないだろうか。
純粋に献身的に誰かを愛そうとする高校生が笑いを誘う愚か者にしか見えない様に描ける作家は中々いないように思う。
だからと言って作者の視点にルサンチマンや独善も見えず、高みからも低みからも見ているようにも、熱くも冷たくも見えない、不思議なニュートラルさを感じる。
創世記の引用から物語が始まり、神町を東北弁で「ノアの箱舟」になぞらえ、ネズミを語り手として据えたり、阿部和重自身が物語に登場したりと、古典的な作品や小説と言うメディアすら小馬鹿にしてふざけ切っているようにも受け取る事ができる姿勢は、彼自身や彼の書く小説に対する何かしらの定位を拒むようですらある。
これだけエログロで「うわっ…」としか思わない人間や事件しか無い物語に関わらずも、その読後感が変に爽やかなのはかなり不思議であるけど、
逆に、これだけの物語を見せ付けられれば、自分の醜さとか中途半端さとか大したことないなぁ…とちょっと一瞬でも自分が好きになれそうな予感がする不思議な物語であった。

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