波戸岡景太『ラノベのなかの現代日本 ポップ/ぼっち/ノスタルジア』/やっぱり原典に当たるしかない。

前回のエントリーで売れている文庫本の20%超はライトノベルで、この数字は本好きとしては無視してはいかんものでは無いのか?と言うことを書いた。

とうこともあり、にわかにライトノベルに対する興味が出てきたのでラノベといえばコレの『涼宮ハルヒの憂鬱』でも読んでみるか。

という勇気はまだ無いので、とりあえずライトノベルについて書かれた新書を読んでみた。

トマス・ピンチョンなどのアメリカ文学や文化論が専門らしい波戸岡景太著『ラノベのなかの現代日本 ポップ/ぼっち/ノスタルジア』である。

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とは言ったものの、私は「ライトノベル」を良く知らないので、この本を読んで感心したのは「ライトノベル」を扱ったところよりもそのほかのところにあった。

たとえば、今まで「ポップ」を「メインカルチャー」のカウンターカルチャー的な位置付けで捉えていたけど、それはやっぱりあまりにもオッサン的なものの見方であり、生徒や学生と呼ばれる年代の一部にとって「ポップ」はメインカルチャーの1つであり、かつスクールカーストの上位者に属する価値であるという指摘にとーっても納得した。

本来はその「ポップ」であることから下りたはずだった「オタク」の市場規模が大きくなってマス化するにつれていたたまれなくなり、さらにポップ化する「オタク文化」からも下りた層向けの文芸作品群が「ライトノベル」であり、その物語は世代間の断絶もパラダイムシフトもそしてノスタルジアもノストフォビアもないキャラクターが定型化されたライトなものであることが良しとされるらしい。

かといって、「オタク文化」に対しては「カウンターカルチャー」と呼ぶほど反逆的でも反抗的でも敵対的でもなく、「サブカルチャー」と呼ぶほどは独自性が無いとういう事になるようだ。

つまり、「スクールカースト」に翻弄されたくもなく、「初期オタク文化」ほど排他的になりたくもなく、「マス化されたオタク文化」ほど一般化されたくもない、世代間の断絶もノスタルジアもノストフォビアも感じず、パラダイムシフトも起こりえない。

ってなんやねん!「終わりなき日常」とか「リバーズ・エッジ」とか存在の耐えられない軽さ」とかと言うてる事一緒やんけ!

うむむ…やっぱり良くわからん時は基本どおり原典にあたるということでラノベ読むしかないな。オッサンやけど…

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