僕らはみんな歪んでいる

嫌な夢で目覚める。最近は時々夢を見るようになった。
昨日は午前中はのんびりで午後からいきなりバタバタだった。
色々なものが目まぐるしく変わってゆく。古い色々なものは過ぎ去ってしまってもう無い。
新しくなるのは良いことだけれど、古い物には死すら訪れずただ消え去ってしまうのみ。
今目の前にあるものも今すぐ掴んでおかなければ直ぐに流れ去ってしまうだろう。それでも悲しい事に私の手は二本しかない。
家に帰って昨日に引き続きsolaris君と戯れる。味気ない16色のキャラクターベースのコンソール画面への没入感が心地良い。
このsolaris的世界の、ただ自分のためだけに世界を使って良い、欲望が可能的現実に直結する全能感は格別だ。
プロンプトが震え、カーソルの点滅が鼓動し、私の訪れを歓迎しているかのようにすら見えてくる。
あまりにも象徴的な数文字からなるシンボリックな言葉を黒一色の画面に打ち込んで何かを生成して表現してゆくのはとても楽しい。このsolaris的世界にあっては16色で大抵の事が表現できる。いや、16色で表現できないような事は表現する必要の無い事なのだ。


自分の形にへこんだ布団や自分の尻の形にへこんだサドルの様に、このsolaris的世界で遊ぶ事の歪みや厚みは自分の歪みや厚みにあまりにもフィットする。この心地良さは真っ直ぐな人と違う形に歪んだ人には理解されないだろう。
人には色々な歪み方がある。歪みある自分から歪みある他人を見れば、その他人の歪みは自分と他人を合わせた程度の歪みに見える。
そして、まったく歪んでいない人も、歪んだ人から見れば自分の歪み程度に歪んでいる人のように見えてしまうというわけだ。
それでも、見てて気持ちの良い歪みと、見るに耐えない歪み方があると言うのもまた本当だし、他人から見た自分の歪みを気にしすぎるのもあまり意味が無いと思った。

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