フルメタル琵琶湖 / ブラックバスとタナゴとベトナム戦争

餃子ドッグを食べた日の話はまだ続く。
餃子ドッグを食べ終えた時点でまだ日が高かった。土偶カーにはブラックバス用の竿とルアーとイカ用のエギが常に搭載されているので、天気もいいことだし釣りでもしてみるかという事になった。
昔は好きだったけど、今となってはブラックバス釣りにそれほど興味が湧かないのだが、エサが無いけどちょっと釣ってみるかという時にルアー釣りというのはとてもお手軽ではある。
ブラックバスを釣るにしても私はペンシルかポッパーでトップウォーターを釣るのが一番好きなのだが、この日たまたま家にプラグの入ったケースを忘れてきたのでしょうがなくワームで釣ることにした。
トップウォーターはルアーを動かしているだけでそれなりに楽しいのだが、ワーム釣りは地味で釣っていてもあまり楽しくない。ワームは楽しむための釣りというよりは釣るだけの為の釣りのような気がするのだ。
というわけで、どうせなら絶対釣ってやるとノーシンカーで投げまくり、水草ジャングルの中で一匹釣った。三十センチないほどの青少年バス、まだまだ若者なのにタプタプのお腹である。
20100926bass.jpg
とりあえず釣ったものの、琵琶湖は釣ったバスやギルはリリース禁止である。
釣った獲物は絶対逃がしてはいけない。というある意味で釣キチ三平のような話であるが、条例でそう決まっているのである。


言われるまでもなく私は釣った魚は食べる、キャッチ・アンド・ストマックな人間である。
もちろんバスも例外ではない。家に持って帰って食べることにする。
バスはどちらかといえば美味しい部類の魚である。
という事で、いつも魚突きの時にやっているように生きながら鰓をむしり取って鰓蓋からナイフを入れて脊椎の下の大動脈を切断し、血抜きを兼ねて失血死させるためにしばらく水につけておく。
で、血抜きをした後に鱗を落として内臓を出してみたらやたらと胃袋が大きい。タプタプお腹はこの胃袋のせいであろうか。明らかに食べすぎである。
いったいこいつは何を食べてるのだ?ということで胃袋を裂いてみたら大量のエビと小魚、そして七センチほどのタナゴが一匹出てきた。
半分消化されていて殆どグロ画像になるから写真は載せないけど、長細いこの形はヤリタナゴかカネヒラといったところではないだろうか。
ブラックバスはタナゴを食べると分っていても実際目の当たりにするとやはりショックである。
言うまでも無く、淡水魚好きの人にとって、タナゴなる魚は特別思い入れのある何かしらの象徴のような魚である。
タナゴを食べるのは、皇居のカルガモで鴨南蛮を作るような物である。
このブラックバスはなんちゅうもん食べるんや?タナゴ食べるとは!
土偶:「よくタナゴが食べられるな」
ブラックバス:「簡単さ、動きがのろいからな!」

ブラックバスにすれば「逃げるやつはエサだ!逃げないやつはよく訓練されたエサだ!」という事になるだろう。
ベトナムの密林の上空を飛びまわって無差別にベトナム人を撃ち殺す戦闘ヘリのように、ブラックバスは琵琶湖内を泳ぎ回って目に付く魚を本能のままに食べまくっているだけなのだ。
「外来魚リリース禁止条例」の問題は実にさまざまな論争や意見を呼んで、政治から思想から宗教、生物学から生命倫理の話まで持ち出されるくらいにとてつもなく微妙な問題になっている。
しかし、我々の思惑や価値判断とは全く別の次元で、実際に魚が泳ぐ自然の現場は常に戦場なのである。
ブラックバスが悪であるかどうかは、戦場で銃を撃つ兵士個人が悪かどうかという問題と本質的に同じである。
侵略行為、または戦争そのもの、或いは戦争を起こし、指揮をする人間が悪かどうかという事とは全く別次元の問題であろう。
とはいえ、一時期は琵琶湖で全く見られなかったスジエビもいくらでも採れるようになったし、琵琶湖から姿を消して絶滅したかに見えたようなタナゴも、ブラックバスの胃の中からとは言え、目にする事ができるようになった事はとても嬉しい。
ベトナム戦争で米軍の傀儡政権が一度は陥落させたサイゴンをベトナム北軍に明け渡して、南北統一ベトナムに権力を返さざるを得なかったように、
ブラックバスは古来からの琵琶湖在来種の生物たちにジリジリと押されてその生息域を狭めながら退却してるのだなぁと感じたのであった。

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