見苦しいのはいけないと思います!
2008年8月25日
前日が寝不足だったせいで、気付いたらすっぽんぽんで布団に包まって寝ていた。
道徳や倫理の根拠として、神やら仏やらの絶対者を設定した上で、誰の見ていないところで罪を犯したり善行をした場合に、「お天道様が見てござる」「神様は御存知」とかいう考え方があるけど、そんな考え方からすれば、誰も見てへんしええわーと言う事でそうしたけど、絶対者を設定してしまえばそんな行為もバレバレである。
昔、画伯氏に「昨日すっぽんぽんで寝た」と言ったら「そんな絵面の悪い事はやめなはれ」と言われて「確かにその通りだ」と納得した事があった。
すっぽんぽんで寝ている乙女であれば、薔薇でも添えて額にでも入れて飾っておきたくなるくらいに絵面的にも申し分ないけど、「すっぽんぽんで布団に絡みついて寝ている36歳の誕生日を向かえたばかりのオッサン」を「お天道様」や「神様」が見たら、「うわっ!きっつー。えらいもん見てもうた」という事で思わず天罰やら神罰を下してしまいそうになるかも知れない。
小学校の頃に読んだ『こどもの聖書』にモーゼの十戒が載っていて「殺すなかれ」「盗むなかれ」「偽証するなかれ」が「ころしてはいけません」「ぬすんではいけません」「うそをついてはいけません」になっているのは良いけど、子供にはちょっとわかりにくい「姦淫するなかれ」が「みぐるしいことをしてはいけません」になっていて笑ったのだが、昨日の私の寝方は「みぐるしいことをしてはいけません」にクリティカルヒットであろう。
そいうことでなるべく「見苦しい事をしてはいけません。」を深く自戒したけど、それよりなによりわざわざ自分の見苦しい所をブログに書いてしまうメンタリティーこそが一番の問題じゃないのだろうか?と思った。