バカ映画、クソゲー、トンデモ本の意義
ネットでドラゴンボールを検索していて見つけた、ファミコン用の「タッチ」というゲーム。
いわゆるラブコメか野球もののゲームかと思いきや、「タッちゃんとカッちゃんが野球のボールを投げて敵と戦う横スクロールのアクションシューティング」であるらしい。
私はタッチを読んだ事も観た事もないので何も感じないが、激しく違和感だけは感じる。タッチファンはさぞかし大喜びであろう。
ゲームだけでもぶっ飛んでるのに、いきなり最強状態、全クリア直前で始まるらしい隠しパスワードが凄い。これは私自ら口にすると言う野暮はすまい。皆様ご自身で検索していただきたい。世の中には凄いゲームがあるなぁ…
そういうわけで、早速このファミコン版「タッチ」を入手してやってみた。当然パスワードは例のものをグヘグホグフ。
たしかに、何の説明も脈絡無く突然始まるゲームに唖然とする。
わけのわからない小人や小さい飛行機や謎のメカがが突然襲いかかってくるようなこの世界が「タッチ」の世界観と相容れない事はこの私にでもわかる。
のんびり恋の鞘当をしながら野球をしておればいいというわけにはいかない。敵を殺して謎の命の数値を稼ぎ、自らの謎の命の数値でアイテムを買い、謎の命の数値をゼロにして死んでしまわないよう、生きる為に戦わねばならないマッチョな世界である。
これは…これも最近読んだ『漂流教室』に似ている。どちらかというと『タッチ』が異空間に漂流した話である。「タッチ」版『漂流教室』である。
全く想像の域を超越した敵キャラやら南の台詞のぶっ飛びっぷりにとてつもない「狂気」を感じる。
ずっとコントローラを握っていると何やら薄ら寒い恐怖が底から湧き上がってくる。
これは恐ろしいゲームだ!クリアしてないけど。
原作を全否定してタダのバカ映画としてしまったもので有名なものの中に「スターシップ・トゥルーパーズ」がある。これは「機動戦士ガンダム」にも影響を与えた、ロバート・A・ハインラインのSF小説『宇宙の戦士』の映画化ということになっているけど、原作に対する冒涜であると言われるほどの無茶苦茶っぷりのバカっぷりは素晴らしい。
「タッチ」を「タッチ」として描いていただけでは歴史の波に消えてしまったに違いない。全く別物に作り変えてしまったからこそその馬鹿さ加減で歴史に名を残す事となったのである。
「名作」と呼ばれるような正当に素晴らしいものは、とくに何もしなくてもその名声は必然的に残って行く。
しかしながら名声と実質的なものはまた別である。
良い映画を良い映画として、良いゲームを良いゲームとして、良い本を良い本として受け取るためには、大量のバカ映画とクソゲーとしょうもない本が必要なのである。
こういったクソゲーやバカ映画は逆の意味で名作が何故名作と言われるゆえんを持つかのその素晴らしさを教えてくれるものである。
インターネットにはバカ映画やクソゲーやトンデモ本を専門的に紹介するサイトが沢山あるが、そういう意味で、あまりにもバカなものこそを歴史を超えて語りついで行くという傾向や趣向は中々に知的に高度なムーブメントであると思った。