戦争映画を鑑賞するおばあちゃん
例のごとく仕事帰りにいつも立ち寄るDVDのレンタル屋さんで、いかにも「よぼよぼ」といった感じのおばあちゃんが「戦争映画」の棚の前で何かのDVDのパッケージを繁々と眺めていた。
恐らく太平洋戦争時には青春真っ只中であったであろう年代のお年寄りである。
日本にとって汚点であるとされるような時代と思想で娘時代を駆け抜けた彼女にとって、戦争の持つ意味や重みは我々とは全く違うのだろう。などと思う。
しかし、「戦争映画の棚」といっても、「さらばラバウル」や「太平洋の翼」のありそうな日本映画でなく、「地獄の黙示録」とか「プライベート・ライアン」があるような洋画の棚の前に立っていた。
棚を間違えているのかな?ふと疑問に思ったところで、そのおばあちゃんはパッケージを見ていたDVDを借りることに決めたらしく、中身を抜き取ってケースだけを棚に戻した。
おばあちゃんが借りることに決めたDVDを見て、ごく控えめに言って私はかなりびっくりした。
そのDVDは「ブラックホークダウン」であった。
「ブラックホークダウン」といえば、ソマリアでおこった米軍のデルタフォースと民兵やゲリラとの壮烈な武力衝突である「モガディシュの戦闘」を描いたリドリー・スコットの映画で、2時間20分に及ぶ映画の最初から最後まで延々とエグい戦闘シーンが続く、銃器オタの間でも「鬱映画」として名高い名作である。
この映画を観たいと思った戦争経験者であるはずの彼女の頭の中には一体何が渦巻いていたのだろうか?
と一瞬思ったが、このおばあちゃんは単純に戦争映画好きなのかもしれない。
普通我々はこの年代の戦争体験者であれば戦争に対して何かしらの深刻なスタンスや考え方を持っているはずだという思い込みがあるし、戦後に起こった強烈な価値の転換に引き裂かれてそのギャップに心密かに苦しんでいるはずだという思い込みがある。
しかし、どちらかといえば、我々はそういったお年寄りがそうであるのを経験的に知っているというよりも、そうあるべきであると思い込んでいるだけなのかも知れない。
もしかしたらこのおばあちゃんは家に帰って孫と一緒にこのDVDを観ながら、「今やーRPG撃てー」「おっしゃーBlackhawk going down!あっきゃっきゃー」とか言ってるかもしれない。
悲惨な戦争を潜り抜けてきた戦争経験者が、こういった戦争映画を現実のものであったり現実に起こりそうなことであるとは思わずに、ただ映画の中だけの話としてワクワクしながら観ることが出来ることは、ある意味で世の中が平和になったことの一つの印なのかもしれない。
などと思った。