個人主義と自己責任論と北山紅茶館
はるか昔に辻利でコーヒーを注文して店員さんに「えぇぇっ!」と驚かれた事がある私であるが、「北山紅茶館」でコーヒーを注文するのは、スターバックスでココアや紅茶を注文する以上には難易度の高い行為であるので、二回目のチャンスもコーヒーを注文することができなかったのは、私が年を取ってしまったからだろう。
世の中には上の例と同じような、例えば、天一で餃子とチャーハンだけを食べる、逆に王将でラーメンだけを食べる、といった風に、ここでそれを食べるか?といった行為が良くある。
「メニューにあるねんから気にせず頼めばええやん」といった考え方もあるけど、「本人が良いといって受け入れているからといって、どんな行為でも許されるわけではあるまい。」といった考え方もまたある。
「なんとか専門店」に行って、その専門のもの意外を要求するのは「個人としての主張」の範囲内であるのか、それとも「エゴの暴走」であるのか。
「なんとか専門店」がその専門以外のものを提供するのは本当にその人の自発的行為であるのか。それとも不当な欲求に答えざるを得ないだけなのか。
あまりにも行過ぎた個人主義と自己責任論が、突き詰めれば、弱い立場の人間の権利を強い立場の人間に集中させる方向に働いてしまうのは、ありとあらゆる主義主張自身の、それ自体に内包して起因すると思われる問題が、実は問題自身ではなく人間自身の問題でしかないことを表しているように思える。
結局のところ、何かしらの問題を抱えている人間自身があらゆる問題の原因であるということであるのだ。
と物事を中間点を考慮せず何でも二極化して考えてしまうと、とてつもない極論にたどり着いてしまう。
そして、極論というのは、往々にしてあまりにも当たり前で結局何も言っていない結論に着地せざるを得ないのに気づくのであった。