ネコの惑星ニャー

「猿の惑星」なる映画があるが、「ネコの惑星」なるものは想像しただけで和む。
京都に住む人にとって「猿の惑星」といえば、京都のテレビ局の恒例行事ともいえるお正月の猿の惑星シリーズ全作一挙放映である。一つのテレビ局が丸々一日サルしか映っていないサルまみれの正月をプロデュースするという、なかなかに強烈なイメージを植えつけられたせいで、京都の人にとってこの映画はちょっとしたトラウマ映画である。
内容もどちらかというと毛だらけで殺伐とした陰鬱な映画であり、ほとんど唯一の恋愛要素も「ジーラ!」「コーネリアス!」と特殊メイクか着ぐるみかよくわからない毛むくじゃらの直立歩行するサル二匹のラブラブ加減を見せつけられて視聴者を失笑させるものであった。
しかし、その「猿の惑星」のサルをネコに入れ替えたとたんにありえないくらいの和み映画になってしまうのは驚きである。
ひたすらむさくるしい「猿の惑星」以外にも惑星のつく映画のタイトルは色々あるが、「恋する惑星」はタイトルを聞いた瞬間にぞわっとする拒否反応を覚えるし、「惑星ソラリス」ではタイトルを聞いただけで眠たくなる。
やはり、「ネコの惑星」と聞いただけで和みそうなゆる~い惑星などそうそうないだろう。
「ネコの惑星」だからといって何も「猿の惑星」のサルのように、「なめ猫」のごとく二足歩行でストーリを作ってゆく必要はまったくない。ネコはただそこにいればそれだけで価値がある存在である。
以下、私の想像する、「ネコの惑星ニャー」「The Nyah , planet of cats」のストーリーである。


宇宙船のトラブルにより地球に向かっていたはずの宇宙船が不時着した惑星にはネコしかいない。見渡す限りのネコがにゃーにゃー鳴いてゴロゴロしたりじゃれたりしている。
宇宙船が墜落してきて蜘蛛の子を散らすように逃げた猫たちもやがてまた集まってきて宇宙船のなるべく高い所に登ってニャーニャー、一番高い太陽光パネルの場所を巡ってネコパンチの応酬(シャー!)、外壁でバリバリ爪とぎ(コーティングが剥がれる!!)、無理やり狭い換気ダクトに入る(窒息する!!)
惑星の住人のネコたちは基本的に主人公を無視するが、気が向いたりお腹がすくとにゃーにゃー擦り寄ってくる。
主人公は足に絡みつくネコを振り払って宇宙船を降りて歩くが、見渡すばかりネコしかいない。そこらじゅうでゴロゴロしてニャーニャー言っている。
主人公は何とか地球に戻るべく手立てを探して歩き始めるが、ネコの海を渡って主人公がたどり着いたのは半ば傾いてネコまみれになった自由の女神であった…
呆然とする主人公は初めて自分からある一匹のネコに話しかける。
主人公:「この星は何という星ですか?」
ネコ:「ニャー!」
主人公:「そうか、ここは≪ニャー≫という星なのか…私はが不時着したのは≪惑星ニャー≫、しかしそれがどこにあるのかわからない。どうすれば地球に帰れるのだ!!ニャー!!」という感じのラストシーン。ってこんな映画どうやろう?
ポイントは主人公が無駄にシリアスでバカであること、主人公とネコの交流が皆無で、主人公が絶対にネコを可愛いとみなさない事、そして映像的にはひたすらゴロゴロする猫だけを映す事である。
この映画を見た観客の9割があまりにプリティーさに悶え苦しむこと請け合いである。

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