炎に飛び込む

傭兵仲間であった某レディーが結婚式を挙げているであろうまさにその時間、私は伸びきって箸でつまんだだけでブチブチ切れるようなうどんを食べていた。しかも釜揚げで。更には賞味期限を一日ばかりオーバーしている。
余りにも美味しくないので、天かすと白髪葱を大量に振りかけてごまかして食べていた。何故に私はこんな自分を痛めつけるような事をしているのだ?もう殆ど苦行ではないか。
片や結婚式、片やうどんに失礼なくらいに不味い釜揚げうどんを食べている私、この二つの間はおおよそ遠い距離で隔てられているように思う。「人生の不思議さ」で片付けてしまいたくないくらいの不条理さがそこにはあるような気がする。
とにかく、遠き地の新しき戦場へと向かう傭兵仲間に武運を、そして幸多かれと切に願う。
cafedogu01.jpg昼から久々のカフェ土偶に琵琶湖へ繰り出す。コールマンのガソリンストーブを買ってからというもの、昔から持っていたEPIgasのストーブとランタンは、高いガスカートリッジを使い捨てる無駄さ加減が気に食わず全く使っていなかったのだが、最近カセットコンロのボンベの液化ブタンを再充填する荒業を会得したので、手軽さと煤の出なさからこちらを愛用している。
今日のカフェ土偶は飲み物だけでなく、お湯を沸かしてスープ春雨を食べ、直火でソーセージを炙り、デザートにモンブランプリンとコーヒーと盛りだくさんであった。


夜は寒いとは言えまだまだ夏、ランタンとストーブに引き寄せられた羽虫が、あるものは羽を焦がして地上に墜落し、あるものは炎に巻かれて燃え尽きてゆくさまを眺めながらコーヒーを飲む。
我々は炎に突進して身を焦がして死んでゆく虫を果たして愚かだと言えるのだろうか?逆に、炎だと判っていてもなお飛び込む事こそ人生なのではないか?
などと思う、八連式の筒状の打ち上げ花火を肩に乗せてぼんぼん火の玉を琵琶湖に撃ち込みながら「お、俺だって、俺だって!」とガンキャノンごっこをする、今月半ばに誕生日を迎えたばかりのオッサンであった。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。

PAGE TOP