映画:セルゲイ・パラジャーノフ「ざくろの色」 / ロシア的マジックリアリズム / 理解できないものは反体制か

amazon ASIN-B00023GSIS2ヶ月ほど前に観たタルコフスキーと並び称される(らしい)旧ソ連の巨匠、セルゲイ・パラジャーノフの「ざくろの色」 の感想を今更ながら書いてみる。
映画の冒頭で「この映画はサヤト・ノヴァの生涯を描いたものではない。人類にとって記念碑的な価値をもって美しいサヤト・ノヴァの詩の世界を,映画という手段で表現することを試みたものである。」という説明がなされるとおり、そのサヤト・ノヴァの人生を幼年時代、宮廷詩人時代、晩年の修道院時代と移り変わってゆく様を8章に分け、それぞれのストーリーも何もあったものじゃない不思議な映像で構成された映画である。
途中何度も寝て、4度目ほど観直してやっと最期まで観通せたほどのある種の退屈さはあったけど、ロシアというより南米を思わせるような強烈な色使いと、胡散臭く宗教的で殆ど台詞のない饒舌さがとても強烈に印象に残っている。
なんというか、ロシア的マジックリアリズムともいえるような気がする。


この監督は生涯に4本の映画だけを作ったけど、こんな映画を作るたびに時のソ連の政府に反政府主義的だとして投獄されたらしい。
この映画に反ソ連政府主義的な要素を感じる事は私には出来ないけど、逆にこの映画に共産主義的な要素を感じる事も出来ない。というか、そんな次元は全く関係ないように思える。とにかくこの映画が一般的な映画的なものとはとは全く違うことは理解できる。
あらゆる映画的語彙と文法をを超越したこの映像がどんな考えと感性から来るのか全く想像できずに、このわけの判らなさは反体制的なものに違いない!と短絡してしまう気持ちもわからないでもない。
それだけにこの映画はそれだけの力を持っているともいえる。
確かにこの映画の余りにも異質な白昼夢のような、悪夢とも言えなくも無い映像は、観るものの内部を激しく揺さぶる。
この映画は、「映画」というメディアを利用した、映画ではないなにものかを表現した映像群であると思う。
そういうのが好きな人は観ていおいて損は無いどころか、とてもいい経験になるのではないだろうか。
理解できないものは反体制だった時代、この映画を作ったパラジャーノフは時の権力者に危険思想を持つものだとみなされ、実際そう扱われた。
とかく理解できないものは恐怖とそれに伴った攻撃の対象となりがちである。
どんなに素晴らしく美しく気高く見えるものを作ったとしても、それがその人の複雑さや、その人に対する理解の難しさを示す事になってしまえば、反X的なものだとして攻撃されるかもしれない対象になる可能性があるという事は現代でも同じであるような気がした。

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