パリ、ジュテ~ム??

最近ちょっと「写真」に興味が出てきて、って言っても見るほうであるが、よく写真集を借りてきたり立ち読みしたりで見ることが多い。
日本人からフランス人まで色々な写真家の写真を見ているのだが、フランスの写真にはやたらとキスをしているシーンの写真が多いような気がする。
ロベール・ドアノーのパリ市庁舎前のキスは有名であるが、同じドアノーのこれこれ。それから20世紀を代表する写真家と言われるアンリ・カルティエ=ブレッソンにもこんなのとかこんなのがある。
もうこれはフランスの国民性やね、フランス人どんだけ人目はばからへんねんと。もうお前らは野良犬と同じかと。
しっかし、日本で同じような事やって、「京阪四条南座前のキス」や「阪急梅田ビッグマン前のキス」とかやっても余り様にならんような気がするので、そういう意味では人ごみでキスしてる写真ってのは実にフランスらしい写真なんですな。


最近『チボー家の人々』をずっと読み続けているのだが、第七巻の『父の死』で長男アントワーヌが父の遺品を整理していて見つけたノートを思わず読んでしまうシーンがある。
その父チボーは事業によって一代で富を築き上げた、自分の偉大さと抱く価値を信じて疑わない厳格なカトリック信者で、教会関係の組織の理事であり、孤児院をも経営する慈善家でもあったのだが、そのノートは死別した自分の妻ではない別の《愛するひと》について切々と書いてあるものであった。
父チボーは死別した妻を良きカトリック市民の立場で、長男アントワーヌと次男ジャックの母として社会的に愛しつつも、心の奥底ではその妻ではない《愛するひと》を想い続けその人を心の支えに、その気持ちをノートに書き綴る事で生きて来たのである。
それを読んだアントワーヌが父に対して怒りを抱くのではなく、厳格で人格者で曲がった事が大嫌いだったと思っていた父が、実は熱い愛を秘めた男であり、義務と自分の心と宗教の狭間で苦悩するを見て深く感動するのである。
普通なら父の自分の母以外の人への愛の告白を読めば怒りそうなものであるが、逆に感動して父を近く感じてしまうあたり、つくづくフランス文学は恋愛を人生や生活の重要な柱やテーマとするのを当たり前のように捉えているんやなぁとつくづく思った。
そしてその父チボーの《愛するひと》について書いたこの文句がとても心に響いた。
「そのひとのうちには、完璧の友たるべきところのものがある。かつまた、きみをして、友情以上の思いにいたらしめるところのものがある。」
最初は「そのひと」って遠くから誰かに説明するような口調で言ってたのに、次の節では「きみ」と思わず歩み寄って《愛するひと》に向かって直接語りかけているところが熱すぎる。
んー何というか実にフランス的ですなー



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