古い友人と会う
仕事帰りに突然電話がかかってきて、突然会うことになった古い友人と飲みながら夜中まで喋った。
中学時代からの友人で、お互いがお互いの人生で起こったことの大半を知り尽くしているような間柄でありながらも、お互い全く逆と言っても良い方向を歩んでいる二人である。
お互い酔っ払ってお互いがお互いの話を頭から聞かずに罵り合いながらも、自分の中にある問題を相手にぶちまけている。気がつけば、誰にも言えないだろうなぁと思っていたことをしゃべっている自分に気付いてびっくりする。
逆に相手に言ったところでどうにもならない、と思うからこそ何でも喋れるのだろうと思う。
微妙に根本的なところで話が噛み合わないのが可笑しい。この根本的なズレはギャップを楽しめるレベルですらある。
全く違って全く想像すらできない世界にお互い属して生きながらも、それでもお互いは同じ世界にいると感じるのはちょっとした救いでもある。
お互いがお互いの同じところを確認するのと、相手との違うところを確認するのは、結局のところ同じ行為なのだろうなと思う。
自分を肯定すると同時に、その肯定された自分と全く違うものも同時に肯定するのに何の矛盾も感じない。という感覚はとても大事なのだと思う。
その人に付随する様々な属性だけでなく、その人がその人であるという事実をまず肯定する感覚はとても大事なのだと思う。
全くちがった方向性を持つ二人が、その方向性で洗練されてよりタフで鍛えられてはるか遠い地平に立っているという事実は、逆に言えば、お互いのの方向性で後戻りするには余りにもリスクが高いところまで来ている。ということにもなる。
お互い歳を取って成長したのだと本当に思う。
なんというか、自分と同じ年の人間と喋って、自分が周りに置いていかれているのではなく、周りと一緒に年を取っていることを感じるのはちょっと気分の良いものであると思った。