パワーウィンドウの故障で人の心を思う。
車のパワーウィンドウが壊れたのでムリヤリ何とか自力で修理した。
先日父が車に乗った時に最下点からパワーウィンドウを上げている最中にバキバキ嫌な音を立てて上がりも下がりもしなくなったらしい。
しばらく様子を見る時間が取れず、流石に窓が開いたままでは不味いので、しばらく窓をガムテープで貼り付けてしのいでいたのだが、意を決してドアの内張りをはがしてみた。
なるほど仕組み自体は分りやすかった。要するにモータで歯車をまわしてパンタグラフで窓を押し上げたり下げたりしているだけの事だ。
この古い形式のサーブ9-3のパワーウィンドウの故障はどうやら持病のようであるらしいが、プラスチックのローラーの結合部分が割れたのだが、割りピン式だった固定方法を違う形式にして問題なく復活した。
いやー当たり前のようにパワーウィンドウが上がり下がりしていたときには何とも思わなかったが、一旦壊れてそれが復活すると、いかにパワーウィンドウがー便利なものかしみじみ感じてありがたく思うのだ。なんと、指先一つで窓が上がり下がりするんやで?
ひたすら自転車ばかり乗っていて久しぶりに車に乗ると、漕がないでも100キロ出る車がどれほど便利か感動するのだが。そういった感覚は忘れてはいけませんぞ。
そして修理しながらその仕組みを見ているにつれ、ここを変な力がかかると一番に壊れるプラスチック部品にする事で、ガラスが割れたりパンタグラフが折れたりするような、他の部分の決定的な損傷を避けているのだろなぁと、こんなところにも現れている設計思想に感心した。
人間の心もどこか弱くて脆いけど凹んでも傷ついてもへこたれてもすぐに立ち直れるようなところがあるほうが、とても強くて頑丈に見えるけど極限まで追い詰められて根元から折れて取り返しのつかなくなるような人よりは、決定的なカタストロフに陥る事は無いのだろうなぁと思った。
4月1日に友人から「年度始めよろしくメール」を貰ってそれに返事を書けていないのがずっと心に引っかかっている。
と、こんな事をここに書くのならとっとと返信すれば良いのだが、なぜか順番が逆になってしまった。
なんというか、私はこんな感じのコトやモノの集積で今まで生きてこれたのだろうとつくづく思う。
メールをありがとう。また改めて返信をするけど、こちらこそよろしくお願いいたします。