記号化というプロセス

9月一杯ブログを書いたものの、10月になってぱたりと書かなくなった。
毎日更新などといって書いていたのは、実のところとある友人が再びブログを書き始める切っ掛けになればと思っていたのだった。
その友人が私が毎日更新するのを読んでくれて、何らかのメッセージや何らかのアフォリズム的なものを多少なりとも受け取ってくれて、そしてブログを書き出すための切っ掛けのささやなかなりとも手助けになればいいと思っていた。
そして、その友人が10月からほぼ毎日書き始めているのを更新されるごとに読み、勝手に自分の目的を達したように思いつつ、淡水魚飼育にどっぷりはまり始めたこともあって、なんとなく文章を書くことから遠ざかっていたのだ。
そして、最近、その友人の影響を受けて「コミュニケーションが成立する」ということについて考えるようになった。
今まで私は「コミュニケーション」なる単語は人間同士の意思疎通と敵意がないことの表明を目的とする程度のレベルのライトなつながりを指す場合に使っていたのだが、その友人が「コミュニケーション」をかなり深いレベルでの意思疎通や相互理解、そしてシンパシーや信頼などを有する関係の意味に使っているのを聞いてとても印象深かったのだ。
そして、一度その「コミュニケーション」という単語の意味がそういうものとしてお互いの了解事項となると、「私はその友人とコミュニケーションが成立していると感じている。」とここで表明する事は、私がその友人をそのような間柄にあると感じて考えている事の表明になるわけである。
なんというか、色々な意味や状況を含んだ複雑な抽象概念を一つの単語で表してしまうという事は単純に言えば単なる記号化に過ぎないのだが、その記号化というプロセス自体に言葉の力というものを感じたのであった。

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