桜が咲き出してから、出勤時と帰宅時にちょっと遠回りして花見がてら桜並木の鴨川の土手を走っていたのだが、ほぼ桜が散りきった今も遠回りしている。
とは言っても土手ではなく河原を走っているのやけど、目的は桜ではなく川、そして魚。
昔からフルカラーでやたらに詳細な『山渓カラー名鑑 日本の淡水魚』を愛読しているくらい淡水魚が好きで、川に架かる橋を渡れば覗き込まなければ気が済まないタチであるから、河原を走っていてライズがあればついつい止まって次のライズを待つし、ちょっと気になる瀬や淵や流れ込みがあればついつい止まって魚体を確認しようと目を凝らすのでなかなか自転車が前に進まない。
帰るのも行くのもいつもより余計に時間がかかるけど、そういう時間はプチ至福を感じる。


川がちゃんと川として機能するには微妙なバランスの生態系だか環境が必要なわけで、そこに住む魚も繊細で華奢である。
一方、海は俺にとって色濃い「死」のイメージが漂う懐の大きい場所で、相手にする魚も大きめの大味な凶暴なやつでどちらかというと真剣勝負なとこがある。
最近海には圧倒的な深くて重い人知を越えた魅力を感じるようになったけど、昔は川の方が好きだったわけで、川の魅力が減じたわけではなく、海には海の、川には川の魅力がある。
海の魅力というのは日常とは全く別のところにあり、川の魅力は俺にとって日常の延長線上にあるように思う。
そういうわけもあり、夕まずめのライズを河原に立って眺めるのは何とも言えん情緒があるやね。
夏の休みの日にこのあたりでフライでカワムツとかオイカワとか釣ってたけど、毎日同じ川を見てれば、めくらめっぽうにフライ投げてた夏に比べて、ここにこうフライを落として、ここを流してこのあたりで魚が飛び出してくるはず。というイメージがはっきり浮かんでくる。
平日なら人も少ないし、出勤時に竿とリールとフライを持って行けば、仕事帰りに釣りが出来るではないか。
仕事後に小魚と遊んで貰うのもありかもしれん。
しかし、釣りキチ三平じゃあるまいし、釣り竿背負って仕事に行くというのは如何なものだろうか…

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