文責の所在

24日の投稿でこのブログについて「コンピューターの話とかがワカランてのはよく言われるけど、それはまぁ専門的ではあっても思考だとか人間性だとかは全く関係ない話である。
特殊な専門性があると言う意味での一般性は無いにしても、それとは違う意味でこれはちょっとヒドすぎる。と思わなくもない。」

と書いたけど、読みようによってはこの粗ブログの読者に対して俺が怒っているようにも見える事に気づいた。
言いたかったのは「コンピュターのややこしい話は、コンピューターがややこしいからであって、俺の思考や人間性がややこしい訳ではない筈だが、その他のエントリの部分を見る限り俺はやっぱりややこしいのではないか?」と言う事である。
書こうとしていた事も全く別の意味に読めてしまうわけで、読者の皆様には謹んでお詫びする次第である。


しかし書こうとした事とほぼ反対の意味に読めてしまうのはなんともいただけない。
いつも読んでくれてる人たちやしわかってくれるやろう。というところで俺に奢りが出来て書く文章に正確性が欠けていたのは大きな反省点である。
書き手が読み手に勝手に馴れ合うのはなんだかなぁ。
言葉とは伝達の手段である。もちろん伝達の手段のためだけにあるのではないが、少なくとも伝達したい意味と違う意味で伝わるのなら、言葉など発しない方が遙かにましだ。
しかし誤解を恐れていては何も言えないというジレンマもまたある。
俺の書いた文章に何らかの「責任」が発生するようなクラスのブログでは決してないが、それでも自分の文章に責任を持つ自負くらいは残しておきたい。

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