もう飛ぶまいぞ、この蝶々
仕事中ちょっとしたお楽しみイベントが起こる予定だったのだが、結局何もなく少し残念。
溜まっていた仕事をガーッと片付ける。流石に何年もやってればクライアントPCの心の声「ここ直してー」と「1からやり直します」と「生まれてきてごめんなさい」の違いがわかってくる。「望み通りにしてくれるわー」とばかりに剛掌波一閃。
仕事後に飲み会があったのだが、始まるまで時間があったので十字屋でCDを物色。金曜日の夜だというのにクラッシックコーナーはガラガラ。モーツァルトの特設コーナーを物色する妊婦さんを見て、マスメディアに踊らされた人間がまた一人。などと思うも人の少なさもあり思う存分CDを視聴しまくる。
気がついたら古い録音の『珠玉のオペラ・アリア集』なるCDを買っていた。
時々オペラを聴きたくなる衝動に駆られるのは確かだが、そっち方面は皆目不案内で、何を聴いたら良いのか全然わからず、かといって序曲集だとかピアノ小品集だとか言ったジャンルは否定していたので、結局何でこんなモノを買ったのかよく解らない。あえて言えば「ついカッとなってやってしまった」と表現するのが一番妥当なような気がする。
ヴェルディの『アイーダ』あたりでも買っておくのが無難ではなかったのか?などと思う。
時間ぎりぎりに飲み会の会場に到着。大政奉還と飽食時代と越えられない壁について語り合う。
飲み会終了間際にここしばらく生体反応が絶えていた某氏から入電。声を聞いて生存していたのを確認した。
そのまま帰ろうと思ったが、帰ったところで何もない事もあり、思い直して勝手に某氏を待つ。
近所の居酒屋で小一時間語り、22才だった人間は28才に、27才だった人間が33才になっている事をひしひしと感じる。
二人の年齢の差はずっと同じだが、年齢の比は年を経るごとに1:1に近くなってくる。言うまでもなく人間は平等に年を取るが、年の取り方、成長の仕方が平等でないところに不平等さを感じる。加速度というものは年を経るごとに落ちてくるようだ。
久しぶりのネガティブ語りの黒い波動の応酬に限りない心地よさを感じるものの、某氏の潔さに比べ、俺はなんとルサンチマンに富んでいる事か。
それでも存分に負のフォースを放出し、家までの8キロほどを高ケイデンスで気分良く疾走できた。
家に帰って買ってきたCDを聴く。夜中の4時前にイタリアオペラは似合わないことがよく解った。