禁煙サウザー!禁煙十字陵!タバコゆえに!!
タバコを止めて気がつけば、いつの間にか禁断症状が一番キツいとされる三日目を過ぎていた。
たしかに「禁断症状」らしきものは出たし、それが「色ボケ」と「恋患い」の性質を同時に併せ持っている事もよく解った。
ある種の身体的な痛みが生きている事を実感させるように、ある種の精神的な痛みも精神の存在を実感させてくれるわけで、これはこれでなかなか楽しい。
禁煙から来る禁断症状はまさに精神攻撃であり、確かに人間的でフレッシュな感覚を抱いている自分自身に気づいた。
しかしながら現在、もう止めて5日目に突入するので、すでに禁断症状は殆ど無くなってしまっているのだが…
このまま風化させてしまうのも忍びないので、記録として書いておく。
「あの人と付き合っていてもお互いのためにならないわ」ということでこっちから一方的にさよならしたものの、
「別れてからと言ふもの、寝ても覚めても思ひ出すのはあの人の事ばかり」
無理にあの人の事を頭から追いやっても、ふとした時に思い出して「嗚呼、もう逢へないのだつた」と悲しくなる。
ご飯を食べてほっとした後などは「あの人さえここにいてくれれば」と切なさに涙目になり、「嗚呼、あの人のいない生活に慣れないといけないわ」と溜息。
「唇と身体があの人を求めて止まない。あぁもう身体がウズウズするわ」ってムラムラっと来るあたりなんかはとても「色ボケ」に似てる。
と、一番禁断症状が酷い時はこんな感じだった。
まさしく「色ボケ」と「恋患い」が同時にやってきて、頭の中は盆と正月と、ツール・ド・フランスとワールドカップがいっぺんに来たような(あ、来てるか)騒ぎだった。
タバコを止める辛さというのは、ジャンキー的で圧倒的な欠乏感ではなく、こういう細々と切なさがつのるような精神的喪失感に似た状態であると言って良いだろう。
肉体的な中毒症状というよりは精神的な依存症に近い状態かもしれない。
感覚としては「失恋」に近いような…
しかしながら、日常の辛さに引き替えこの程度の辛さなどなんと言う事はない。
世の中に充ち満ちる辛さに比べ、タバコを止める辛さなどどれほどのものがあるだろう?と思った。
はっきり言って、もっと辛くて耐えるべき事など世の中にいくらでもあるだろうし、もっと強烈な依存症もあるだろう。
ニコチン中毒の禁断症状よりも、ちょっとした失恋のほうが遙かに辛いし、自分自身を嘘偽り無く真っ直ぐに見つめる方がよっぽどしんどい。
それでも、禁煙が失恋に似ており、タバコが恋に似ているのは間違いないだろう。
某聖帝のセリフを当てはめてみると…
タバコゆえに人は苦しまねばならぬ!!
タバコゆえに人は悲しまねばならぬ!!
こんなに苦しいのなら、こんなに悲しいのなら!!
タバコなどいらぬ!!
と、実にしっくり来るではないか。
「タバコ」=「恋」、「禁煙」=「失恋」と捉えれば、
失恋に慣らされた土偶にとって!!
エセ失恋の禁煙など痛くも痒くもこそばゆくもないわぁ!…
orz
o…rz
と強がりと自虐の入り交じった、
タバコ止めども、ちょっと悲しき日曜日の夕暮れであった。
それそれ。
相手が蒸発してくれるわけでも、着信拒否してくれるわけでもなく、
こちらが誰かに「乗り換え」たわけでも無いもんで、「手を切る」のはなかなか大変でした。
んまぁ、下卑た言い方で申し訳ないけど。
禁煙=失恋か…。
タバコは思い立てばちょっとのマネーと
いつでも会いにいけちゃうのがね。
少なくとも向こうから拒否られることはなし。
愛のない生活は当たり前でも
タバコのない生活は継続中できてない者より。