有為の奥山今日越えて

この夏休みは激しくまったりしている。
例年なら「海!海!」と鼻息荒くなってるけど、ウエットスーツ買う事にしたので夏じゃなくても秋やろうが冬やろうが潜れるのであわてる必要が無くなった。
ダイモンさん背中押してくれてありがとう。
と言う事で毎日家族の用事や家の仕事を手伝ってる。
さらに家や家族だけじゃなくって、
南にキーボードにお茶をこぼして起動しなくなったと嘆くレディーがいれば、カフェに連れて行って紅茶を飲ませてパソコンなんか捨てちまえと言ひ。
東にサーバーダウンに気づいて火事を心配する人があれば、pingも飛ばないのに切り分けようがないから諦めろと言ふ。
と、まぁこれはどっちかというと暴言やけど、とにかく、自分を殺すというところまでは全然無いにしろ、自分の欲求がゆっくりとしか沸き出してこない生活が心地良い。


あれだけ必死で貪るように求めていた「海」もそこまでせずともただ楽しめばええやんと思えるようになった。
無ければ無いで良いし、あればあったで楽しい。
「海」を執着の対象として見なせるようになったのは中々大した進歩やと自分でも思う。
他にも色々な事に大して俺は執着している訳やけど、色々な事に対してこのように「無ければ無いで良く、あればあったでよし」と思える用になればどれだけ良いだろう。
色々な事に対する執着が無くなればどれほど良いかと思う。
先に書いたパソコンにお茶をこぼした某レディーは昨日紅茶を飲みながら「お金が無い時は服とかカバンが可能的現実の範囲になく、物欲自体が殆ど沸かなかった」と言うような事を言っていた。
なるほどと感じると同時に宗教者が「清貧」であれと求められる意義をかいま見たような気がする。
可能的現実の範囲から物事を閉め出してしまえば欲求や執着は減じるし、ウエットースーツを買う事にした話のように、何かに対してそれの持つ限定性や希少性を無くしてしまう手段を講じてしまえばそれに対する執着や欲求も薄くなる。
アクセスを絶つ方向とアクセスしやすさを増やす方向。
手段としては全く別やけど、結果としては同じものが得られそう。
まぁ、何事も道は一つじゃないと無理矢理にまとめてみた。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。

PAGE TOP