秋の蚊、商店街

最近暑さがぶり返した来たせいか蚊の襲来が多い。
秋が迫って子孫を残すために必死になる様に哀れさと同情を抱くも、容赦なく叩き潰してメダカかスジシマドジョウの餌にすべく水槽に投入する。
食物連鎖ではないけど、少なくとも喰う喰われるの関係ではあるこの絵面になんとなく「もののあはれ」を感じる。
梶井基次郎の作品に『冬の蝿』ってタイトルの時点で暗く、内容もタイトルを裏切らない程にダウナーな短編があったけど、「秋の蚊」て言葉もそれなりのポテンシャルやら破壊力は秘めているだろうとなんとなく思った。


昼からいくつかの物を買い物しようと出かけたものの、結局商品を目の前にする度にそれをそんなに欲しくも必要でもない事に気づいた。
欲しい物はともかくとして、本当に必要な物なんかほとんど無いのは当たり前と言えば当たり前やけど、そんな事言ってたら買い物なんか出来ない。
でも、結局何も買わずに帰宅。
昔ながらの「商店街」なるものをゆっくり見て回ったけど、小さい頃にそういう場所でそれほど遊んだ事は無いにもかかわらず、ずっと言いようの無い懐かしさを感じていた。
いったい何が自分の何を刺激しているのかわからんけど、ある一定の年代、一定の文化圏、一定の傾向が一致した時に、外部から与えられた自分の物ではないはずの感情や感覚を、自分のものとして感じたりするのではないかと思った。
その一例として特に思い入れの無いはずの商店街に懐かしさを感じると。
それを何かに囚われていると感じるか、何かを共有していると感じるか。
まぁどちらもありえるわな。
買ったものの読んでない本がええ加減多くなってきたので、夕方からその中の一冊を読み始める。
結局朝の五時過ぎまで本を読み続け、耐えられなくなって睡眠に落ちる。
日曜日は早い目に寝て一気に昼型に戻そう。

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