『愛しすぎる女たち』
ロビン ノーウッド著『愛しすぎる女たち』を読了。
内容は恋愛依存症について、中でもついつい「ダメ男」をわざわざ選んで別れられずにどんどん不幸になって行くタイプの女性、つまりは「愛しすぎる女」についての精神構造とか、それが病気であるとか、こういう風に男から逃げましょうとか、そういった話。
お前は病気だ、とかお前は間違ってる。とか言うだけの本でもなく、ただの告白本でも啓蒙本でもなかった。
量的には多いけどとてもわかりやすく訴えかけるものがあるので、かなり売れた本やというのがよく解る。
日本語訳の初版は1988年に、オリジナル版は1985年とかなり古い本やけど、古臭さを全く感じないのはある種の普遍性があるからやろう。
当然小説でもないし、ノンフィクションとかいうジャンルでもない。普通やったら絶対読まん類の本なんやろうけど、百円だったと言うこともあり、まぁ衝撃的なタイトルではあるし、有名な本でもあるので購入。
なんか事例として「なんじゃこれ」と思うくらい読んでて痛々しい人ばかり登場して、これでもかと言うくらいに彼女達に共通の病的な心理状態とそれがれっきとした病気であることを暴き立て、何が戦うべき相手なのかを執拗にはっきり示している。
出来るかどうかは別にして、ある種の物事に対する見通しはよくなるかもしれない。
著者は心理療法家とかセラピストとかそうった類の職業に従事する人である。
そういった職業を選ぶ人は往々にして自分自身も彼らのクライアントと同じく内的な問題を抱えていたり治療を必要としていたりといった事が多いわけで、御多分に漏れず彼女も彼女自身の言う「愛しすぎる女」であったという。
そういう彼女の患者としての経験と、セラピスト側である社会的な彼女のキャリアが上手く生かされている。
ただ事例を並べてゆくだけでは、ただ同情するだけで帰納的に何かを引き出せる可能性は少なく、逆に心理的な側面を論理的に組み立ててゆくだけではただ味気ないだけで帰納的に自分がそれに当てはまると感じ、それを自分適用するのは難しい。
ケーススタディーな側面とロジカルな側面が絶妙な比率で組み合わされ、その二つが交互に相補的に出てくると言った、構成のテクニカルな面でも彼女の個人的な経験と社会的な経験が生かされているのを感じた。
どんな人でもこういった類の本を読んで多かれ少なかれ自分の一面を本の中に見つける事は当然あるやろうけど、そういった事とはまた別に、ハッとするものはあったし、大いに反省したり同意したりする事も多かった。
以前タバコを止め始めたくらいに「禁煙は失恋に似てる」とか「タバコの禁断症状は色ボケに近い」てな事を言うてたけど、それは図らずも自分が恋愛依存の傾向を持っている事を表していたわけである。
考えてみればタバコを吸い始めたくらいからちゃんとした彼女にしろそうでないにしろ付き合ってる人がいないという状態が一度もなかったわけで、恋愛依存とは言わないまでも、自分の回りからそういう存在がいなくなるという事がある種のストレスになるというのは容易に想像がつく。
当初は酷い状態に陥ったような感覚になったけど、実際そんな事は酷くも何ともないわけで、要はただの慣れの問題なのだ。
独り身と言えるような状態になってほぼ一年が過ぎようとするけど、一人は辛いという風潮でそう思いこまされていただけで、冷静に考えれば一人は一人で結構楽しいし、俺にとって全くマイナスにしかならん女性と付き合っててもしんどいだけやわな。
タバコを止めたくらいから自分を取り巻き、自分がしっかり絡め取られている色々な種類の「依存」について考えはじめ、真正面から恋愛依存の問題に取り組んだこの本を読んで、自分の取った方向性は間違ってない事に気づいた。
つーか、何よりもこういう事をこういう場所に書けるようになったという事がある種の成長かもしれん。まぁ開き直りとも取れるけど。
この本は確かに「イタい本」ではある。題材も内容も文章もかなりイタい。
それでも素直に偏見を捨てて他人の言葉に耳を傾けるのも時には必要だ。
「今の恋愛が辛い」あるいは「恋愛状態に無い状態が辛い」と感じている人には新たな認識の一つが得られるのではないか?と言う意味でお勧めする。
まぁ精神構造としては「ワーカーホリック」も「買い物依存」も「アルコール依存」も「セックス依存」も同じなわけで、そんな人は私の回りにいくらでもいる。「我こそは依存者である!!」と豪語できる猛者にもお勧めできよう。
長々と書いてしまった。失礼。
天晴れ、よくぞ申した。
我々の屍を越えて行きなされよ。
しかし、時々一回り年の差があるのを忘れますなぁ…
我こそは依存者である!!