何を残したいのかではなく、何が残されたのかについて
2013年4月1日
以前、「出会ったひとと別れることはないし、出会わなかったひとと別れることもない」という言葉を読んでいまいちピンとこなかったのだが、最近なんとなくその意味がわかってきたような気がする。
橋を焼かないように、撤退時に地雷を埋めないような人間関係を心がけている限り、そんなことは自然に理解できるのかもしれない。
私の書いた言葉がある人の言葉として発せられるのを聞き、、私の話していた言葉がある人の言葉として文章に書かれるのを読み、そして、その言葉で共有されていた意味を感じることで自分の存在を他人の中に感じる。
その人がその言葉や文章に私自身を意識していようがしていまいがに関わらずだ。
今まで私は、自分の痕跡を人の中に残そうと、そしてその痕跡を確認しようとばかりしていたのかもしれない。自分の中に今まで出会った人全ての痕跡が刻まれているにもかかわらず。
そして、人と関わると言うことは人に自分の痕跡を残すことだと捉えていたのかもしれない。自分の中にとても多くの痕跡が刻まれているにもかかわらず。
そして当然のように、私にとって文章を書くという事は誰かに対して痕跡を刻もうとする試みであったわけだ。
しかし、考えてみれば、私が誰かに残そうとする痕跡のほとんど全ては、私が誰かから刻まれたものであると言ってしまって間違いないだろう。
これから私は、この方向性をまったく逆に変えたいと思う。誰かに対して痕跡を残そうとする試みを、誰かに刻まれた痕跡を確認する試みとして。
これからは私が何を残したいのかではなく、私の中に何が残されたのかについて、ブログの中で書いて行けたら良いなと思う。