0.5転0.7転日記
2006年12月6日
無駄に駄文を載せるならいっそ何も書かない方が良いという気がするのだが、私ごときが何を書いたところで駄文以外の何物を生み出せ得るのだ?
という見方もまたあるわけで、こうなると「毎日書き続ける」ところの価値を捨てないためにも書き続けようと思ふ。
経験的に何物かを発語することでその何物かが現象する事は事実のように思われるからして、「今日は一日何も無かった」とここに書けば、本当に今日は一日何も無かったという気になるし、書いた文章を駄文だと思った瞬間からそれは駄文になるわけだ。
だからといって因果律の崩壊だとか主客の逆転だとか言うわけじゃなくって、ただ単に「経験して感じる自分」を「自分を観察する自分」が見た場合の認識作業で事実が形作られるだけの話で、結局、私の場合は「認識しようとする自分」の方が「経験して感じる自分」よりも優勢であると言う事になろうか。
そんな事はどっちかというと良い傾向じゃなさそうな気もするし、その自分に対する認識作業でさえ贔屓目というか、自分は悪くないと言う前提で見たがるものであり、中途半端でため息が出るよマッタク。
となんか自分のことばかり語ろうとするのもいかがなものかと思うが、まぁ日記なので…
と思ったけど、これは日記なのか?
日記的ではないにしろ、余りに人間的ではある土偶の日記であった。
と、内容はともかくとして毎日何かを書けるというのも芸のうちだということにしておこう。