J・M・クッツェー『マイケル・K』
ジョン・マックスウェル・クッツェーは南アフリカ出身の白人で、大学卒業後はイギリスでプログラマーとして働きながら修士論文を書き、アメリカに渡って言語学の博士号を所得、大学で教えながら作品を書き始め、1972年に南アフリカに帰国。
1983年と1999年と史上初となる二度のイギリスのブッカー賞を、2003年にはノーベル文学賞を受賞とキャリアは十二分。
一度目のブッカー賞受賞作となったこの本の内容は
激しい内戦が続いている南アフリカで庭師として働く兎唇のマイケルが、家政婦を解雇された母の望みを叶えるべく自作の手押し車に母を乗せて故郷へと旅立つところから始まる。
なぜ自分は生まれてきたのかという問いに答えを持っていた彼は突然その答えのより所を失って失意のどん底へ落ちる。彼は野菜を育てて動物を狩り、野生に戻って生きる事だけをただ望むが、社会は彼をほおっておかず、人との関わりの中で彼はますます深い孤独と諦念と衰弱に陥ってゆくといった、原題の『Life and Times of Michael K』通り、マイケル・KのLifeとTimesが描かれてゆく。
この本は、母に疎まれて生まれ、兎唇と知恵遅れと被差別階級ということで散々な目にあうマイケルの語る、難しい単語を一切使わない語りと、全体に漂う何とも重苦しい雰囲気を読むものだろうし、美しい人としての「文学的白痴」を味わうものだろう。
物語の序盤の数ページで「三年後、公園管理局をやめてしばらく失業した。その間、彼はベッドで横になってじっと手を見てすごした。」と「つまりなぜ彼がこの世に生まれてきたのかという問いには答えが出ていた。母親の面倒を見るためにこの世に生まれてきたのだ。」の二つ文章に度肝を抜かれて本の中に一気に引き擦り込まれた。
善意を知らない故に死にそうになって担ぎ込まれた病院でなぜ自分が手当てされて食べ物を与えられているのかが理解できず、人を信じず自然にだけ心を開き、人と離れて野菜を栽培し狩りをして暮らしたいと望む以外の欲を持たないほどになる、彼の孤独さと世界認識が何ともやりきれず、彼の草花や「種」への態度が心を打つ。
それでも、というより逆にそれゆえ「マイケル」に魅力を感じるわけやけど、結局誰も彼を理解できず現代社会の中に彼の居場所があるはずも無い。
ムイシュキン公爵からアリョーシャからアメニモマケズなどと色々な「文学的白痴」がおったけど、「マイケル・K」は彼らにも劣らないキャラクターだろうと思う。
きっつい内容のはずやのに、なんともさわやかな読後感が残る不思議な本やった。