意味テロリズム

「ガルシア・マルケス」をwebで検索すると一番最初に鞄のブランドが出てきて、「世の中そんな事になってんのかー」と最近驚いたのだが、同じような事を感じている人はやはりいるようで、しかもそれが土偶がいつも巡回しているお気に入りの日記サイトの某レディーだという事で妙に嬉しい。
土偶に限らずその某レディーを含めそこそこの本好きにとってガルシア・マルケスといえばノーベル賞作家のガブリエルで、『百年の孤独』の作者としか思い浮かばんやろう。
しかしながら、その某レディーが言うには、そういうオシャレなバックを持つギャルは「百年の孤独」を一生知らず、「百年の孤独」を無人島に持っていく本に上げる人はギャルに人気の鞄のブランドなんか一生知らないだろうという、なんだか物凄いパラレルワールドが展開されてるようだと仰っておる訳で、
そういう全く異なった二つの人種が同じ言葉を共有しているというのは、その二つの人種が「棲み分け」ているというよりは「相容れない」状態にあると言った方がええのか?と改めて思った。
「無人島に持っていくほどではないなぁ」等と考える時点で、土偶がそのどっちに自分がいるのかというとそんな言うまでもないことやし、まぁそういう世界に縁が無くてもしょうがないやね。と思い込んでおこう。
しかしながら今度は『百年の孤独』を検索すると大麦焼酎もヒットするわけで、「百年の孤独みたいな話やな」などと口にするとこれまた違う意味を指してしまいそうで意味の世界もなんだかゆらゆらと揺らぎ始める訳である。
その某レディーは、こうなったら「サマンサ・タバサ」って人にノーベル賞受賞して欲しい。なんて事をおっしゃっておりますが、土偶としてはさらに「アルフレッド・バニスター」って人にもノーベル生理学・医学賞あたりを取って貰ってもう何がなんやらぐちゃぐちゃにして欲しいと思う冬の夜であった。

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