人間なんてララららら

真実を知りたくないと言うのは、結局その個人の弱さの問題なのであろうか?
多くの人間が真実に耐えられないのは、多くの人間が真実に耐えるほど強くないという事であろうか?
真実を知ることは最終的には良い結果をもたらすというのが歴史的な見方だとしても、それほどまでに強い人間などどれほどいるだろう。
それでも、生きていればいやおうなく色々な事を知ってしまう。知って良かったと思う事なんかそれほど多くないし、大抵は知ってしまった事を後悔し、知らない方が良かったと思い悩む。
知ってしまった以上どうやったってその記憶を消す事は出来ないので、何とかしてその真実を抱えてサバイバルするしか道は無いのである。
しかし「知」が「力」である限り、真実も力である。一個の真実の持つ力は一個の人間を再起不能にする程の破壊力を持っているけど、それに耐え抜いて乗り越えると見えてくる地平もまたある。
だからと言ってなんでも真実と対峙しようとするのは良くないのではないかと最近思うようになって来た。
それは余りに自分の力を過信しすぎた傲慢な行いであるし、往々にして耐え難い真実を告げられた時のリアクションは、真実自体ではなく、真実を告げたものに対しての攻撃性として現れるからだ。
そしてなによりも、そうやって自分を鍛えてみたところで、自分がどれほど成長するのだ?というところだろう。毎度同じダメージを食らっていながら何も成長していないと感じるのは、そのダメージ以上のダメージがあるのだ。
しかしそれでも進まなければいけない所に人間の悲しさがあり、救いもあるのだと思った。

4件のコメント

  • いやいやお気になさらずに。(^^ゞ
    心配していただきありがとうございました。

  • 軽く受け流してくれと仰っていたのに
    真に受けてコメントした痛い例ですね。
    こちらこそ、失礼しました(笑汗

  • いやー特に何かを知った訳ではないですよ。なんとなく書いてみただけです。
    思わせぶりで失礼しました。m(__)m

  • ?!Σ(゜д゜ノ)ノ何を知ってしまったのですか!!

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