切り替わる土曜

社会性と個人性の乖離に苦しむなんつーと思春期の少年少女のようやけど、かと言って我々くらいの年の人間がその問題を解決しているわけでは決して無く、それらが乖離している状態を当たり前のものとして受け入れているだけに過ぎない。
個人性と社会性はどうしても相容れないように見えるけど、個人性を持った個人で構成された社会が社会性を持つというのは考えてみれば不思議である。
個人性を尊重するところに社会性の根拠がある筈やけど、社会性を尊重することも個人性に求められるし、社会性の中で個人性を活かそうとする欲求もまたある。
この年になって言うような事ではないかもしれないけど、社会性と個人性にどう折り合いをつけるかってのは本当に難しい。適度の社会性と個人性のバランスのブレンド具合が難しい。
で、そんな事を思った個人性から出た欲求が社会性の面からも良しとされ、そのことがまた個人性の方にフィードバックするような、今まで個人性の域を出なかったものが社会性の領域に踏み出した、象徴的にも現実的にも何かがカチリと音を立てて切り替わったような土曜日であった。

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