「楽」のための苦行

前の日に花火青年が戯れる様を見てというわけでもないけど、中学生のときによく遊んだ公園で花火をする。
「花火ってこんなに煙出たっけなぁ?」と言うくらいの量の煙が出てちょっとびっくりだ。
「花火なんか物を燃やすだけで勿体無いだけである」という発想がある事を最近知ってちょっとした衝撃を受けた。
そういうレベルで人生を徹底できたら人生は楽になるのか苦しくなるのかまったく想像できない。
それから無駄に強い我で攻撃的に周りと接して自分のやりたい事しかしない人も、人生楽なのか辛いのか微妙なところである。
自分を「快」の方向に導こうとして、いつの間にか「快」から放れていっているってことは意外によくある話で、「健康のためなら死んでも良い」に通じるところがあるなと思った。

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