マナ、蛇口、足の裏
2007年8月19日
足を火傷してしばらくまともに歩けずおり、ようやくにして治りかけてきて、ちゃんと歩けるということはありがたいことやなーとしみじみ思う。
いつも日常的に食べ慣れている物でも別の人が食べればマナの如きありがたき物となりえることを思いつつ、水道が故障すれば蛇口を捻れば水が出ることが奇跡であることを、そして足の裏の皮が厚く丈夫であるのがどれだけありがたいのかを理解する。
われわれはありがたい事に囲まれつつも、そのありがたみ自体がありがたい事であるのにそれを失ってから始めて気づくのだと思う。失わずしてどれだけそのありがたみを組み尽くし、そして感謝する事が出来るのだろうか。
と、病気や怪我をして謙遜になったり敬虔になって変な感受性が芽生えた頭で考える。
この日でお盆休みも終わり、次の日から日常が始まる。
そして、戻るべき日常があると言うことも、恐らく、ありがたいことなのだろうと思う事にする。