片隅でオムレツ朝風呂ヘチマチャンプル

昨日は早くに寝てしまったので、目が覚めたのも早かった。風呂に入らないまま寝てしまっていたので起きてすぐに風呂に入る。
休日の朝日に満ちた風呂に浸かると、このまま世界が終わればどれだけ幸せだろうといつも思っていた。
私にとって朝の光の中で湯船に浸かるのはそれほどの至福の瞬間なのである。
多幸感に包まれ、余りに現実から乖離した感覚のまま自転車に乗って出勤する。しかしながら余りの多幸感に現実離れすればするほど対峙しなければいけない現実が辛くなるゆえ、本来は平日の出勤前には避けるべきである。


家に帰って例のごとくオムレツ道に精進し、家に出来たヘチマを「ヘチマチャンプル」にして食べてみる。
ゴーヤと同じような感じやと思ってたけどまたぜんぜん違った。種が出来切らない大きさのもので、実の内側のちょっとしたヌルヌルがアクセントで美味しかった。
最近「オムレツ道」などと言っているけど、世の中をざっと見渡しただけでも余りに多種多様な道がどこまでも続いているのが見える。
私から見えない範囲に私など想像も及ばない道が蜘蛛の巣のように張り巡らされ、そしてそのそれぞれがどこまでもはるかに続いているのだろう。
世界を汲み尽くす事など誰にも出来ないとわかっていても、余りの世界の広さと多様性の実感にクラクラするし、自分の歩き得る道、また歩いて来た道を見て、余りの狭さになんとも絶望的な気分になってくる。
などと、この年になって思っている事自体こそが問題にされるべきなんだろうと思った。

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