人の話を聞かない力

誰かが誰かの事をとやかく言うのを聞く時、もともと自分の中にあったその人に対する見方や評価を変えずにいるのはとても難しい。
他人の言うスキャンダラスな「事実」とされるものはなぜか不思議と信じやすいものである。
しかし、ある人のまたある人への見方はある人の立場から見たものであって私から見たものではない。
真偽のレベルが問題になる事はもちろんあるとしても、それ以前に私では無いある立場のある人のまたある人への見方が、私に役に立つ場合が果たしてどれだけあるだろう?
AがBの話をする場合、それはBがどうであるという真実ではなく、AがBをどのように見ているかと言う現段階の事実しか指していない場合が多い。
何かしらの判断や評価に迷ったり、二つの真実らしい対立する事実に引き裂かれそうになれば、自分の見方や捉え方を信用して優先しようと思った。結局そのほうが精神衛生的にもいいような気がする。
こうなると判断と言うよりは信念のレベルの話になってくるけど、結局自分を信じられない人間に人を信じる事は出来ないし、人を信じられない人間に自分を信じる事は出来ない。
明らかな循環論法であるけどせめて正のスパイラルであって欲しいと思った。

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