日記/雑記/妄談 15 6月 2007 俗人五衰 家に帰って『天人五衰』を読み始めるも、ちょっと本を読む気分では無くなったので、本を閉じて音楽に聴きいる。 先日買ったフリードリッヒ・グルダの二回目のベートーヴェンのピアノソナタ全集録音の中の最後のCD、つまりベートーヴェンの最後の3つのピアノソナタ、30番、31番、32番、私が世の中で一番好きな曲の一群、言い換えれば最も慰めとなる曲の一群でもある。 収拾がつかない自己の分裂と断絶は世界が混沌である[…] 続きを読む
日記/雑記/妄談 14 6月 2007 寝だめモルターレ 朝から雨だが喜び勇んで自転車に搭乗。「水溜りドリフト」「排水溝ホイルスピン」を満喫しながら出勤。 前日やたら睡眠時間が少ないにもかかわらずなぜか全然眠たくなく、しかもそれなりに忙しかったので、妙にテンションだけが高かった。 そして職場は祭りであった。いろいろな意味で祭りであった。さぁ盛り上がってまいりました。 帰りに予約していた本が届いたという事で図書館に立ち寄る。 司書のレディがずぶ濡れの私を見[…] 続きを読む
日記/雑記/妄談 13 6月 2007 肉球、そして生命の神秘 日曜日に火傷をしてちょこっと水ぶくれが出来て、普段なら針で突いて中の組織液を出すのだが、今回はなんとなくそのままの状態にしてあり、右手人差し指の先は某宇宙人のように膨らんでいる。 事あるごとにその水ぶくれを親指でプニプニし、プニプニ感に酔いしれる度に、水ぶくれがその下の傷口へのクッションになっているのを感じて生物のしくみスゲーと思うわけである。 てな事を、沖縄料理を食べながら梅酒を飲みながら話し、[…] 続きを読む
日記/雑記/妄談 12 6月 2007 戦えドラッグストア(生老病死と) 日曜日にスパゲティーを茹でていて、熱くないと思い込んでいた取っ手をつかんで右手人差し指を火傷し、自分の無様さに鬱スイッチが入りそうになったのだが、この日の仕事帰り、「指の火傷」と「しょーもない事で鬱スイッチ入りそうになる精神性」のどっちが人間が生きる上で不利となるのだろう?火傷はすぐに治るが精神性はなかなか直るまい。火傷や怪我は治った状態を想像できるものの、精神状態のあるべき姿なんかそもそも分から[…] 続きを読む
本 11 6月 2007 三島 由紀夫 『暁の寺』 (『豊饒の海』 第三巻) ISBN:4101050236 『豊穣の海』シリーズ第三巻『暁の寺』を10日ほどかけて読了。 前半は唯識を中心とした、ヒンズー教と混ざり合った仏教思想の話が、タイとインドを主な舞台として語られ、後半は58歳になった本多の倒錯した性的な冒険と言うか企ての物語である。 タイの「ワット・アルン」を指している『暁の寺』が舞台という事やけど、これが出てくるのは前半少しだけ、松枝清顕の転生したタイの王女ジン・[…] 続きを読む
音楽 10 6月 2007 モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番 内田光子 このCDは世界的に実力者として有名な内田光子の出世作となったモーツァルトのピアノ協奏曲の全曲録音のひとつ。このシリーズ録音を機に内田光子は一気にブレイクしたらしい。 内田光子の出世作であると同時に、モーツァルト弾きの彼女にとっては代表作のひとつだろう。 この人がテレビ喋るのを初めて見た時は「音楽家っておかしな人種やなぁ…」と思ったけどやっぱり変ながらもとてつもない魅力のある人であり、その辺のビジュ[…] 続きを読む
日記/雑記/妄談 9 6月 2007 ふわサクカリお好み焼き:真人間フラグ 本日は「お好み焼き」なのでお料理ブログと言うほど書く事は無い。 キャベツと山芋と桜海老と小麦粉と卵をガーっと混ぜてホットプレートでジューっと焼くだけ。途中でペタっと裏返し、焼きあがり後はダーっと醤油ソースマヨネーズをかけて、青海苔だの鰹節だの紅生姜だのをハラハラっとふりかける。 ただ、生地に水を入れずに小麦粉を最小限にして山芋でふわふわ感を、すりおろした山芋だけでなく賽の目切りにした山芋を混ぜてサ[…] 続きを読む
日記/雑記/妄談 8 6月 2007 ほっこり 「市職員と専門学校のサッカー部がグランドで乱闘」というなんとも牧歌的な記事にほっこりする。なんか日本も捨てたものじゃないね。多分こんな感じだったのだろう。 専門学校生ボス:「ヒャッハー!!ここは使わせねぇ! 市長に最後の挨拶は済ませたのか?」 市職員ボス:「弱いカマキリほどよくしゃべるようだな」 専:「無駄無駄無駄無駄ッ!!」 市:「オラオラオラオラッ!」 専:「君がッ 泣くまで 殴るのをやめない[…] 続きを読む
日記/雑記/妄談 7 6月 2007 ラーメン!しかし業! 相反する概念が自分の中にあって、それが命ずる欲求と、それ自身の存在に引き裂かれるような、葛と藤がくんずほぐれつするような、まさに「葛藤」と呼ぶべきものに、我々は日々日常的に責め苛まれている。 例えば身近な例で言うと「太りたくないが食べたい」から「泳ぎたいが水着になりたくない」等と単純な構造の葛藤、さらには「醤油ラーメンが食べたいけど塩ラーメンも食べたい」「海に行って泳ぎたいけどクーラーにあたって本[…] 続きを読む
日記/雑記/妄談 6 6月 2007 正義の味方の見方 「~すべきである」てな感じの文脈で述べられるような「偉そうな事」とか「正しそうな事」は意外に論理構造が単純である。 絶対的な視点からもって、日常生活で考慮するような細かい誤差や要素、例えば個々人の強さや弱さ、感情であるとか立場であるとか状況を考慮の対象から切り捨てて、しまいには私自身はどうよ?という視点まで切り捨ててて、ほとんど一元的なまでの言いっぱなし視点と言う所が単純極まりない。 つまり、世界[…] 続きを読む