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2009年2月17日

世界の中心で愛を叫んだけもの / SF開眼?

先日ジュンパ・ラヒリの『停電の夜に』を読んで、家に読まれずに転がっている短編集を読んでみようと言う気になったので、大学生だったころから友人に借りっぱなしの形になっている、SF界で有名なハーラン・エリスンの『世界の中心で愛を叫んだけもの』を読んだ。
短編集の割には400ページ超のなかなかに分量のある本だった。
日本語訳が1979年に出たこの本は、オリジナルが1971年にアメリカで出版され、この本の中に入っている短編の多くはヒューゴ賞やネビュラ賞などのSFの文学賞を数多く受賞している。
背表紙の本の内容説明には「ウルトラ・ヴァイオレンス」とか書いてあるけど、1971年当時はともかく現代の小説や映画や漫画に比べれば、とくに強烈な暴力描写があるようには思えなかった。
この本が殆ど40年近く前に書かれたにもかかわらず、この本の中に描かれている未来世界やその内容、何よりも本自体が全く陳腐化していないのは凄い事だと思う。


著者のハーラン・エリスンなる人物はユダヤ人家庭で生まれた札付きの不良少年として青年期までを過ごし、SF小説だけでなく編集者・批評家、テレビや映画の脚本家など、それらの世界でも才能を発揮している、SF界ではなかなかにカリスマ的な人気を持つようである。
著者はこの本の「まえがき」で著者は自作のこの本について、社会や神や政府が我々を守ってくれるという幻想が根本的に崩壊する確実に訪れるであろう我々の世界の未来の形を、貧者や虐げられた人に対して書いた。というような意味のことを書いている。
話半分に聞いたほうが良さそうなこんな大層な物言いにちょと驚きつつも、基本的には未来の話であるSFのひとつの捉え方にはっとしたような気がする。
読み始めてすぐに全く説明なしに一般名詞のような扱いでSF的な専門用語がぼんぼん飛び出すのにびっくりしたけど、慣れればたしかにそのほうがスピード感は感じる。
全体的に下層階級の人間が体制とか社会に押しつぶされそうになって、そのまま押しつぶされたり、一矢報いたり、成長して大きな力を得たりする物語であるけど、武装した車同士のハイウェイでの決闘、全人類の意識を監視して暴力衝動をなだめて未然に戦争を防いで600年間の平和を築いてきた存在、全宇宙的な支配者となって宇宙の平和を目指す惑星征服を請け負う傭兵、などなど単純に面白いだけでなく、特殊な設定にしたからこそ深くテーマに迫っているところもあるだろう。
乱暴に言ってしまえば、この本は暴力的なシステムに翻弄されるやくざなチンピラの暴力衝動と、やくざなチンピラによる暴力による世直しの物語に集約されるかもしれない。
国家なり政府なりを解体しようとする方向性を持った思想がひとつのムーブメントであるような風潮があった当時、その解体や解体後をテーマはその時代に沿ったテーマだったのだろう。
当時この本は実験的で風刺的なものだとされていたようであるけど、特にそのようには感じなかったし、どこが風刺的でどこが実験的なのかよく分らなかった。当時風刺されたものは現代にとっても根源的な問題であり続け、当時実験的だった手法は今となれば小説作法のひとつとして一般的になっているということなのかもしれない。
そういう意味でこの本は「エヴァンゲリオン」の最終話や「セカチュー」などで「タイトルだけの引用」をされることがなくても、SFの古典として生き残っていたに違いない。
高校くらいから殆どSFを読まなくなったけど、純粋に物語として面白かったし、とても刺激的だった。
それからちょっと不思議だったのが、初版が1979年に出たこの本に出てくるフレーズとか話の持って行き方がとても村上春樹っぽく感じたところである。
村上春樹とSFが関係が深いという話は聞いたことがないので、気になってネットでちょっと調べてみたら、村上春樹はそれなりにSFをたくさん読んでいるらしいという情報を見つけけて興味深かった。
こんな本が沢山埋もれているならSFももっと読まねば!と思った。とりあえず古典と呼ばれるSFを順番に読んでゆこうと決心したのであった。

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