映画:「落下の王国」 / プラス側から見た妄想の映画化

amazon ASIN-B001KUP8W4「ザ・セル2」を観て激しく微妙であったけど、今度こそターセム・シン監督の「ザ・セル」に続く二作目であり、衣装も石岡瑛子が担当している「落下の王国」を観た。
某レディに貸してもらわなければレンタル屋さんにあってもスルーしていたかもしれない。
数々の世界遺産でロケを敢行し、石岡瑛子のデザインした衣装がふんだんに投入されたことで、ひたすら衣装とロケーションが映える映像の連続である映画であった。実際のストーリーは特にどうと言うことは無いけど、ひたすら次々と飛び出してくる映像に「ほへーっ」と感心する事しきりであった。
なんというか、中南米のマジックリアリズムな雰囲気をベースにヨーロッパと東洋的な味付けを加味したような映像と言うか、綺麗と残酷が紙一重であることがなんとなくわかるような気がする映画であった。
そのあたりはなんとなくホドロフスキーの「サンタ・サングレ」に似ているような気がした。


この映画のメインである映像部分が、映画内の直接的なストーリーではなく、作中作であるということが何の違和感も無く無茶な設定も動きもストーリーを展開させることも観ているほうに受け入れさせることができたのだと思う。
そういえば「ザ・セル」で話題になった映像も映画の直接的なストーリーではなく、人の心の中の心象風景という設定だった。
基本的に映画ってのは何かしら仮想現実的の中で起こったことを虚構として映像化している事になるけど、このターセム監督の作る映像ってのは、仮想現実の中の人が心の中で思い描くものを映像化している。
普通の映画が仮想現実であるとすれば、この監督の映画はいわば仮想空想である。そう考えると二重にネストしたこの構成はなかなかに複雑である。
妄想というか夢というか心象風景の映像化といえばデヴィッド・リンチなイメージがあるけど、彼が心の醜い不合理な部分を闇の側から現実的な形で映像化したのと対照的に、このターセム監督はその妄想を綺麗な側から見て非現実的に映像化したように感じられる。
本来映画では扱う対象でないはずの仮想空想を巧妙にメインとして扱ってしまうところがこの映画のほかに無い特徴なのだろう。
この映画を観て、二次元にしか興味の無い、完全に三次元を自分には関わりの無いものとして捨てた男の心象世界(というか妄想)を映像化したものは、実はおぞましいものではなく、実はとても美しいのではなかろうかと思った。

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