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2009年8月28日

斎藤環 『生き延びるためのラカン』 / 有効的な枠組みとしてのラカン / ラカン漫談

以前読んだ『社会的ひきこもり―終わらない思春期』 の著者である斎藤環の『生き延びるためのラカン』 を読んだ。
ラカンってのは精神の分野に無理やり数学やら図を持ち込んで、数学者からトンデモ扱いされた、フロイト系の思想化扱いされている心理学者で、なに言っているのかは知らんけど、ちょっと胡散臭い気がする。程度の殆ど何も知っていないに近い知識とイメージしかなかった状態で読み始めた。
この本の紹介として、
「心の闇」を詮索するヒマがあったらラカンを読め! そうすれば世界の見方が変わってくる。幻想と現実が紙一重のこの世界で、できるだけリアルに生き延びるための、ラカン解説書にして精神分析入門。
とあり、いつも読んでいるひきこもり(というよりニートか?)の人のブログにあったのを見てなんとなく読みたくなった。
思想や何かしらの学説の入門書は知的好奇心に応えたり純粋に初学者向けの方向性を目指したものが殆どであるけど、何かしらの思想を現実的な精神的サバイバルの手段として捕らえている入門書ってところがなんとなくツボに入った。
多分「ラカン」というよりは「生き延びるための」って所のみに反応したのかもしれない。


始終真面目なトーンだった 『社会的ひきこもり―終わらない思春期』 に引き換え、ほぼその十年後に書かれたこの本は、最初から最後まで殆ど口語に近い口調で貫かれ、数時間で一気に読み通せたくらいに、文章としてはとても読みやすく面白かった。「日本一わかりやすいラカン入門」を目指したというのもうなづける。
ただ、全般的に「ラカンの言っていること」というよりも「著者の理解するラカン」が説明されているのじゃないかという気がしたし、まぁ厳密に言えばラカン以外にラカンについては語れないことになるけど、この本はラカンについて語るというよりは、ラカンをだしにして自分の言いたいことを言い放ってしまっているような印象を受けた。結局この著者を気に入るか気に入らないかでこの本の評価が分かれるような気がする。ふざけていると思えば否定的に見えるだろうし、面白い人やなぁと思えば楽しく読める。
最初に述べたように、今までラカンといえば実際には何の役にも立たない自己完結した胡散臭いトンデモ思想家に近い存在のように、殆ど偏見を持って考えていた。
しかし、シンクロニシティ的なものをユングのように意味論で捉えるのではなく、ラカンのように象徴界を介した転移として捉えれば技法論として有効になる。
って所に代表されるように、臨床の現場では精神や心の動きを捉えて分析するにはこのラカンの考え方がとても有効であるとされているのにはちょっと驚いた。
なんか世間的にラカンてのはあまりにも難しくて訳がわからん過ぎて、悪意でもって無茶苦茶言われているのかなぁ。という気もしてきた。
いくら精神や心の動きを理解するのにラカンの思想が有効な枠組みであるとしても、タイトルにある「生き延びるための」というほどの強さは感じられなかった。
結局「生き延びる」ためのラカンは書かれていなかったように思うけど、まぁちょっと面白いオッサンのラカンをネタにしたちょっとした漫談を聞いたと思えばとても楽しい本であった。

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