アゴタ・クリストフ『文盲』

アゴタ・クリストフ『文盲』を読んだ。
110ページとあるものの1ページあたりの文字数は少なく読破に30分くらいしかかから無い。
自伝と言うことになっているけど、「読む事」「書く事」に関するテーマについて年代順の記憶に沿って書かれており、そんな短い文章の組み合わせの構成は「自伝的随筆」と言ったところか。
母語であるハンガリー語ではない「敵語」で書かざるをえなかった苦しみと不自由さからこの『文盲』というタイトルはきている。
相変わらずの感情の起伏の無い冷たく乾いて取り付く島の無い文体は深い悲しみと諦念を漂わせている。
こんな最初から最期までダウナー系な自伝は中々お目にかかれないだろう。
また、『悪童日記』三部作、『昨日』を読んだ人間にとっては、アゴタ・クリストフ自身の体験として話される物語は、作者はどういう体験から物語を作り、どういう風に語ったのかといった、今までの作品の創作の背景を詳らかにするものでもある。


amazon ASIN-4560027420本を読むのが、文章を書くのが好きで好きでたまらない人間にとっては、彼女の言葉は重く響くだろう。
そしてそうであるからこそ、彼女が母語ではなく「敵語」で文章を読み、そして書かねばならない苦悩もまた理解できると言うものだ。
しかしながら、アゴタ・クリストフは新しい物語を書けば書くほど高みに登ることを目指すタイプの作家、つまりは書く事や物語ることで救いを目指すようなタイプの作家ではないと言うのが良く分った。
過去に根ざす強烈な物語、つまりは『悪童日記』三部作を物語り終えた時点で、彼女にとっての文章を書く意味が殆どなくなってしまったのではないだろうかと言う印象を受けた。
現にこの本の一番初めの章の最後で、「そして、何よりも重大なことに、書く事をしない。」と彼女は語っている。
書かずにはおれなかった、書くことが苦痛しか感じなかった彼女にとって、「書かなくても良い」という状態はある種の救いなのだろう。
「デビュー作を超える作品を書くのは難しい」とよく言う。
自分の過去を救おうとする事は誰でもするけど、自分の未来を救おうと試みる人は少ないような気がする。
そういう観点からも、本気で本を読み、本気で文章を書こうとする人間にとっては、この本は薄い短いながらも重みを持っているように思えた。
読み始めていきなり「わたしは読む。病気のようなものだ。」と言う文章が目に飛び込むが、思わず「病気で悪かったな」と心の中で悪態をつくような、『悪童日記』三部作を読んでいる人間にお勧めできよう。

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