ボリス・ヴィアン 『北京の秋』

amazon ASIN-4152002549ボリス・ヴィアン『北京の秋』を読了。
タイトルと本の内容に全く繋がりがないのがこの作者の特徴であるけれど、この本は北京にも秋にも全く関係が無いが故に『北京の秋』であるらしい。まぁこのへんはなんとなく心和む逸話ではある。
確かに北京にも秋にも全く関係ない話であった。比喩的にもかすりもしなかった。
エグゾポタミーなる砂漠の真ん中の土地に鉄道をひこうという人達の話ということになるのやろうけど、別にその鉄道が出来たらどうなるとか、出来なかったら何が起こるとか、そういった常識的なところは全く眼中に無い。「砂漠のど真ん中に鉄道をひく」というのは目的でもなんでもなくただの環境である。
例のごとくストーリーなどあって無いようなもので、一応のストーリーのようなものを口実にして余りにもヴィアン的な有機的耽美世界が延々と続く。そしてその耽美な世界に浸って楽しむというのがこの本の正しい読み方であろう。


このヴィアンの文章は読めば読むほど混乱してくる。ナチュラルにこういう状態で無いと、書こうと意図して書けるものではとても無いだろう。
恐らく原文のフランス語では言葉遊びなり韻を踏んだりしているのやろうけど、日本語に訳された段階で何の脈略も無い文章になっているのだとしか思えない。
普通と違った事をしたり言いさえすれば、普通でない事自体を目的とすれば、普通と違った価値ある人間に見られるに違いない。という子供じみた欲求を持つ人間を時々見かけるけど、ヴィアンのような余りにもぶっ飛んだ才能と感覚と表現を前にすれば、その考え方自体が余りにも凡庸すぎて救いがたく、その救い難い事自体がさらに救いがたさを固着させているように見えるのであった。
『日々の泡』は「美しさ」が際立っていた用に思えるけど、この「不条理さ」が際立った『北京の秋』は余りにヴィアン的過ぎて私にはついていけない。
私にとってやっぱりヴィアンは『日々の泡』が最高である。

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