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2021年7月30日

あの人に聞けなかった事とmRNA

今ワクチンの組成としてよく聞くmRNAという言葉を聞くと、学生時代に大好きだった授業のことを思い出す。

それはRNAがDNAからコードを受け取ってタンパク質を転写する仕組みについての分子生物学の授業で、高校の生物ではDNAはDNA、RNAはRNAだとしか習っていなかったから、その授業で初めてmRNA、tRNA、rRNAの違いを知ったのだ。

その授業で語られる生物のシステムの美しさに私は心底感動し、ポケモンの最初の町の人のように「せいめいのちからってスゲー」と思いながら毎週最前列で目をうるうるさせながら聞き入っていた。
その先生は女性だったので多分私のことを確実に「なんかキモい学生おるなー」と思っていたに違いない。

毎週授業を受けてその仕組を知れば知るほどその仕組みの美しさに圧倒されちょっとした畏怖というか信仰というかヌミノーゼなものが湧き上がってくるのを感じた。
それまで科学は宗教的の対極にあるものだと思ってきたけど、突き詰めた科学的な知識はむしろ信仰の入口になりうるのだと思って驚いたのだ。
一般教養レベルの授業を受けている私すらこうなのだから、それを専門に研究してる先生は一体どのようにお感じなのだろうとずっと聞いてみたいと思っていたけど、先生がお亡くなりになり、それはかなわぬ夢となった。

思えば、先生がお亡くなりになる前までは時々でも先生を見かけることがあった。本当に聞こうと思えばいつでも聞くことができたのだ。

ちょっとした環境の変化で、ちょっとしたタイミングの狂いで、そして決定的に何かが変わることで、今まで簡単に出来た事がとても難しく調整が必要になり、いつでも出来たはずのことが二度とできなくなることなんかいくらでもある。
この何年か前から、会いたい人には会っておくべきだし、行きたい所にも行っておくべきだし、したいことはしておくべきだと本当に思うようになった。

会いたい人に会えないまま会えなくなり、行きたい所に行けないまま行けなくなり、したいことが出来ないままに壊れてしまったことどもが、尖った欠片となって私の中に刺さったままになっているような気がする。

その先生に聞けなかったこともそんな欠片の一つとして私の中で心のどこかをずっと刺し続けているように思える。

そう考えると、たとえ痛みとしてでも私の中に残っているのであれば、それもまた悪くないなと思えるのであった。

ということで、ずっと思いつつも先生には聞けなかった事。それをここに書いておこう。

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