ジュール ヴェルヌ 『神秘の島』 / 漂流してるようには見えない遭難者 /

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先日ジュール ヴェルヌの『海底二万里』(1869年)を読んで「ネモ船長」の運命と、なぜ彼がああいった人になってしまったのかがとても気になった。
その秘密が明かされる続編にあたるという1874年発表の『神秘の島』を読んだ。
読んだ本は少年少女向けの「福音館古典童話シリーズ」なる単行本のうちの二冊で分厚いハードカバーの挿絵入りであり、この本の日本語訳の完訳版の中では一番の豪華版であるらしい。
確かに子供時代にこの分量のこの分厚さの上下巻を読破するのはかなりの達成感があるやろうなと。
アメリカの南北戦争で南軍に捉えられた、技師とその従僕、新聞記者と水夫と少年の北軍6人が、嵐の夜に気球に乗って囚われの身から逃げ出したものの、無人島に不時着してそこで生き抜くことを余儀なくされる。
六人の男たちと一匹の犬と一匹のサルは、それぞれの特技と才能を生かして無人島で生き抜くだけでなく、暮らしやすい島へと作り変えて行く。といった感じのストーリーである。


『海底二万里』の続編にあたるといっても、直接的な続編ではなく、ネモ船長も最後のほうでチョイ役でしか出てこない。
無人島での漂流ものだという前知識で、なぜかネモ船長と乗組員が漂流する話しやと思い込んでいたけど、主人公たちは前作とまったく違う人物たちでちょっと拍子抜けした。
いつネモ船長が出てくるのかと思いながら読んでいたけど、物語としてとても面白かったので途中からそんなことはどうでもよくなって読んでいた。
それぞれ500ページほどある二巻組みのハードカバーの上巻を二日、下巻にいたっては一日で読んでしまうほどに、読み出すと止まらないほどに熱中した。
自分で意識して集中して読むのではなく、読まざるを得ないほどに集中させられたのは久しぶりであった。
物語としては一応「漂流記」やけど、墜落しそうな気球の高度を下げないようにありとあらゆるものを投げ捨てたという設定で、ナイフすらない状態から始まったのにもかかわらず、レンガを練ってかまどを作り、製材所は作るわ製鉄所は作るわ造船所は作るわ、しまいには粉引き風車や崖の砦を往復する水力エレベーターや電話線まで作るにいたっては、もう漂流しているようには見えなかった。
ガラスはすでに使っているのでその材料のケイ素を使ってシリコン系半導体を開発するのは時間の問題だろう。
後何年もすればウランの鉱脈でも見つけて、そのうちに核開発をして原子炉を作り、ついでにミサイル防衛網を築き、イージス艦まで配備してしまいそうな勢いである。
「漂流記」って言えば毎日が戦いで日々を生き抜くのに戦々恐々ってイメージがあるけど、この無人島で悠々自適に暮らす主人公たちは、無人島の暮らしがあまりにも快適すぎて「帰りたくない」ということまで言い出してびっくりである。
このままでは、漂流したけど、漂流生活が楽しくて帰りたくなくなって助け出されるのを拒否する。ってな意表をついたストーリー展開になりそうで、これは珍しそうやと期待していたけど、作者の最後に持ってきたオチはそんな期待を文字通り根底から突き崩すものであった。
映画でも小説でも、オチに困ると爆発や崩壊で収拾をつけてしまうのは昔からなんやなぁと妙に感心した。「爆発の美学」ってものは確かにあると思った。

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