笠原嘉 『軽症うつ病』 / ゼロからわかる「軽症うつ病」だけに留まらない深度

amazon ASIN-4061492896最近お気に入りの人である笠原嘉の『軽症うつ病』を読んだ。ピンからキリまで、ちゃんとしたものからトンデモまで、世の中にいくらでもある「うつ病」に関する本の中では正統派の王道としてなかなかに評判が高い本のようである。
精神医学系の本というのは一般的には人気があっても臨床や治療の現場ではまったく役に立たないものが多いというけど、この本はうつで病院に行った時に医者から薦められることも多いらしく、一般的にも専門家からも評価の高い本ということになるだろう。
「うつ病」が起こるのは脳に原因があるものと心理的な悩みから起こるもの、そしてわけもなくある日に突然スイッチが入るような「内因性のゆううつ」があるらしく、この本では主に最後の「内因性のゆううつ」に端を発する、本の題名である「軽症うつ病」について書かれている。
「軽症うつ病」というとちょっとしたライトなプチうつな印象を受けるけど、何とか日常生活は可能でありながらも他人には病気と見えないだけに、常に真綿で首を絞められてゆくような、本人にとっては一番つらい状態であるようだ。


こういった本を読むにつけ本当はうつ病なのに本人もまわりも病気とはみなさず、性格と根性と気合の問題に還元されて一人で苦しんでいる人がいくらでもいるように思える。
「境界性人格障害」「自己愛性人格障害」や「アスペルガー症候群」への言及が、自分の気に食わない人を病気の型に押し込めるただの悪口の正当化である印象が多いのとは逆に、「軽症うつ病」は著者が「どいういうわけか実直な人に多い。実直な人が不幸になるのを座視したくない。それが本書を私に書かせる第一の動機です。」というように、うつの傾向にある人は確かにまじめで報われるべき人でなんとか楽になってほしいと思えることが多い。
新書という形態上、この本の内容はそれほど高度なものを扱うというよりは一般的な「軽症うつ」の判断や治療方法や治癒してゆく過程をを丹念に扱っているように思える。そして病気そのものだけでなく家族や職場のメンタルヘルスにも言及されており、うつ病の当事者やその周りの人々の視点に立って書かれた本であると言えると思う。
三寒四温を繰り返して徐々に治ってゆく、最後まで「おっくう感」が抜けない、といった標準的な治癒パターンは知らない人にはとても意外だし参考になったり励みになるに違いない。
そしてなによりもとても平素に丁寧に書かれておりとても読みやすく理解しやすい、うつ病はちゃんと治るのだという希望を抱かせるような温かみのある作りなのが良かった。
著者はこの本の中で「うつの人がうつの本を読むのは良くない」ということを言っているけど、この本なら大丈夫なんじゃないか?むしろ良いのじゃないか?とも思う。世の医者がこぞって薦めるくらいやしね…
何かしらの病気について話す場合、病人の代弁者として話すのか、治療者として話すのかでは大分印象が変わると思うのだが、この笠原嘉なる人は病人として病人面で語る事もなく、何処までも分限を守って治療者の立場として発言している。これはなかなか出来る事ではないと思う。
そして何よりも絶対に「善と悪」や「敵と味方」的な二分法で語ることが無いと言うのが良い。
先に読んだ『精神病』といい、この本といい、この笠原嘉なる人の書く一般向けの本はとてもわかりやすい上に、病気の人たちへの暖かい眼差しと弱さを認める優しさがあるように思うし、それでいて、患者にべったりしすぎない適度な距離感と一個の人間としての患者に対する敬意を感じるのも良い。
とかく精神医学系の本では診断や治療のために原因を探ると称して患者の無意識を暴いたりトラウマを掘り返したりする、精神的人体実験とでも言いたくなるような、ちょっと下品な趣味が横行しているように見える。
あまり何かに対して批判的な態度をとらない著者であるけど、おそらく、治療に来た患者に心理分析やら深層心理療法を求められたりすることが多いのかもしれないが、そういったことに対してほんの少し苦言を呈しているような部分がある。かなり心を打たれたので長いけど引用する。
「ものの本には、人間の心理的問題を扱う意思や看護者やコメディカルは患者さんの心の奥底まで知っていなければならないかのような書き方のものが少なからずあります。しかし、それは間違いです。すべての対象にいつもそうである必要はないのです。
また精神分析の書物とか臨床心理学の(すべてではないが一部の)書物には、いろいろと深層心理療法の事が書かれています。これらは、やむにやまれぬ理由があって何ヶ月から何年という長期間の治療を自費で受けようとなさる人のための特殊な治療の事で、そういう場合には生活史や家庭史が最初から治療者と非治療者との間の共有の関心ごとになるという暗黙の了解があり、ここでいううつ病の場合とは違います。
うつ病が慢性化したとき、生活史や家庭の話題を私が取り上げるのは、本人に自分の今までの生き方を少し縦断的にみてもらうためで、それ以上でも以下でもないのです。」

この笠原嘉という人は精神科医であるから治療に関わりのない、または逆に差しさわりの出るかも知れない個人の掘り起しなどは行わないのだろう。
たしかに合理的といえば合理的であるけど、謙遜で人道的であり、かつ患者を一個の人格として扱い敬意を持って接しているようにも見えるのがこの人の人徳と言おうか。
私は昔からちょっとしたギャグとして「ペニス羨望」「口唇期」などといった心理学系の単語は使っていたけど、実際に自分や他人の心にそういったものを適用して考えるのはあまりにも違和感があったし、とても品のない行為だと思っていた。
そして最近、誰か(や自分)の自己を心理学的にとか精神医学的にとか掘り下げて考えるような行為に心底疲れ果てたし、それに何の意味があるのやとウンザリしていた。
誰か(や自分)を掘り起こすことが未来に繋がらないのなら、それは更に苦しみを倍増させるだけじゃないのか?と。
もう、誰か(や自分)が苦しんでいるとした場合にも、誰か(や自分)を知ることと、誰か(や自分)が楽になることとはまったく別の問題であるから、もうこれは完全に分けて扱って考えようと思うようになった。
そう思うことは未来に対する過去からの何かしらの連続性を切り捨てるようでちょっとつらかったけど、そういった決心が上の著者の文章を読んで大いに力づけられたような気がする。
「うつ病」の本を読んでいて全然関係ないところから全く関係ないところにヒットして感動したり何かに気付いたりしそうになるというのも変であるが…
この人の本は本当に前知識なしでも読める平素さと簡単さという浅さから始まって、今のところ確立百パーセントで(2冊やし)自分の中を大きく揺さぶるほどの深さの、本の本来の大筋には関係ない話まで含まれている不思議な本なぁと思うのであった。



7件のコメント

  • (7)親友

     1987年。浪人2年目の19歳だった僕は、勉強もせず、アルバイトもせず、ただ家にひきこもって、部屋のなかで布団にくるまって過ごした。そんな生活は1年近…

  • 記事たいへん興味深く読ませていただきました。自分も若い頃、笠原嘉さんの本にずいぶん救われたことを覚えています。中公新書の『青年期』という本です。まだ「ひきこもり」という言葉が一般化する前の頃で、斎藤環さんも世に出ておられない頃でした。よろしければ私のブログ記事お読みくださると嬉しいです。ブログ『光射す方へ 元ひきこもり青年・再生への手記』

  • こちらこそ貴ブログ興味深く読ませていただきました。
    またちょくちょくお伺いすると思いますのでよろしくお願いいたします。
    happyflightboyさんの読まれたという笠原嘉さんの『青年期』を今日借りてきました。
    読み終わりましたらまた感想をここに載せると思いますのでご覧頂けましたら幸いです。

  • ブログをご覧いただいたとのことでありがとうございました。こちらこそ、土偶さんのブログは大変奥深く、興味深い内容ばかりですので、これからもちょくちょくお伺いさせていただきたいと思います。どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。

  • ありがとうございます。m(__)mそう言って頂けると書いた甲斐がありましたし、これからの励みにもなります。
    私もhappyflightboy様の「昔」と「今」についての両方のブログを読むにつけ、色々な意味でのhappyflightboy様の境遇や問題意識をとても近しく感じております。
    こちらこそ、これからもよろしくお願いいたします。

  • 私のブログを丁寧に読んでいただいているようでありがとうございます。とくに「昔」と「今」の両方のブログを対比させながら読んでいただいているとのことで、たいへん嬉しく思います。
    それにしても、土偶さんが上山さんの著書に関する書評で書いておられた
    「ひきこもり属性の人は他人に何を何処までしゃべって良いのか判断しづらいという興味深い見解」…
    これについては、私自身が思いやられる思いでありました。自分自身がブログでそうした「自己暴露」をやっているわけですから。
    確か、『ひきこもりの<ゴール>』(石川良子著)という本でも、著者の方が、ひきこもり当事者・経験者たちがもつそうした気質の指摘をなされていました。
    ひきこもり気質の方たちの(自分も含め)、こうした傾向につきましては、また自分のブログでも書きたいと思っています。

  • そのひきこもりの人特有の気質ですが、私は元々その人にそんな傾向があったのはもちろん、「ひきこもり」自体がそんな気質を作り出す面もあるのではないかと思っております。
    「ひきこもっていること」それ自体が外傷体験になる、と斎藤環氏も言っておりますが、トラウマ少女の自分語りに近いような、語ることそのものが何かしらの治療への試みであるような、そんな行為なのではないかという気もします。

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