『私がひきこもった理由』 / ひきこもりはカオスであることを知る本/ リアルひきこもりブッダ
私の敬愛する勝山実氏がインタビューに答えているということで『私がひきこもった理由』を読んだ。2000年出版と結構古い本である。
この本は15人のひきこもり経験者や実践者の諸氏がインタビューに答える形で自分語りをする体裁になっているのだが、期待していた勝山実氏のインタビューは期待していた方向には面白くなかった。それでも現在「ひきこもり名人」「ひきこもりブッダ」の境地にいる彼に、過去にああいった修羅場フィールドに囲まれていた時代があったというのは驚きである。「ひきこもり名人」は最初から「ひきこもり名人」なのではなく、さまざまな修羅場と修行を潜り抜けた先に戦士の魂が眠るというヴァルハラのごとく見えてくるものであるということか。
この本にいる15人の人たちは多種多様の環境から多種多様の原因があったりなかったりして同じ「ひきこもり」状態に陥った。
ここに何かしらの共通点を見つけることは確かに可能なような気がするけど、それをいれば全ての人間に当てはまってしまうのではないだろうか、結果、ひきこもりは誰にでも起こってしまう要因をはらんでいると結論付けるしかないように思えた。ケーススタディではなくカオスであることを知るのである。
一番印象的だったのは一人の強迫神経症でひきこもってしまった男の話。この話は圧巻であった。
手が汚いと思ったら皮がむけても何時間も洗わずにはいられず、トイレで過ごすと決めてしまったらそうせずにはいられずトイレに閉じこもったままそこで食事を取って何日も暮らし、といったようなことを一歩も家を出ずに繰り返しているうちにあまりにも苦しくて死ぬしかないと決心する。
死に方も一番被害と影響の少ないエコな餓死を選び、ご飯を作ってくれていた母親に死ぬつもりだからご飯はいらないと告げて号泣される。
餓死もできず、追い詰めに追い詰められていざ死のうとした時に、どうやっても恐怖から死ねない自分に、「死ねないから生きるしかない」と思う。
インタビューを受けている時点では「今は生きているだけで幸せだと感じられるようになった」ということであるがこれはもうある種の悟りの境地であるとしか思えない。
どれだけひきこもりって極限状態やねんと。そらひきこもりブッダにもなるわな。と思った本であった。
このリアルひきこもりブッダの人の名前をネットで検索したりしてみたけどまったくヒットしない。彼は今一体どうしているのだろうか。